そして、無事、4年間通い卒業式を迎えることになった。想い起こせば、入学当初、2クラス(80人)に在籍していた電気科の生徒達は、4年経過すると会社の都合や心身疲労で次々と途中で学校を辞めていった。晴れの卒業式では僅か20数名しか残っていなかった。

晴れの式典には、父兄の出席はまばらだった。当然、私の家族も誰も来てくれなかった。先生と在校生3年生だけの出席で、とても寂しい卒業式だった。校長先生から「ご苦労様。おめでとう」と言われ、「ありがとうございます」と卒業証書を受け取ったとき、嬉しさと寂しさで感無量となって自然と涙がこぼれ落ちた。

帰宅して「おじいちゃん。おばあちゃん。ボク。無事高校を卒業出来ました」と一番に卒業証書を祖父母に見せた。

「正夫。おめでとう。4年間よく頑張ったな。辛かったやろ。しんどかったやろ。でも、やれば出来たやんか。ご苦労さん」と優しい満面の笑みで労をねぎらってくれた。祖母も「正夫。おめでとうさん。よう頑張ったな」と笑顔で褒めてくれた。とても嬉しかった。

「おじいちゃん。おばあちゃん。これまで、色々とお世話になりました。お陰様で卒業出来ました。ありがとうございました」

と涙を流してお礼を言った。

「何言うてんねん。お前が一生懸命頑張ったから卒業出来たんやんか。おめでとう」

と言って貰った。その日の夕飯は、祖母が私のために炊いてくれた赤飯だった。心遣いがとても嬉しかった。おじいさん、おばあさんと私の3人で卒業を祝った。仕事で、お祝いに参加出来なかった叔母も、その晩「正夫。よう頑張ったね。卒業おめでとう」とケーキを買ってきて祝ってくれた。

私は、通学が辛くて学校を辞めようと思った時もあったが、祖父の叱責で学校に踏みとどまった。正に人生の分岐点だった。その祖父の叱咤激励がなかったら、今の私はなかったように思う。このことは、現在も尚、祖父に感謝している。

夜間高校卒業後も前田豊三郎商店で勤務し、5年目を迎えた。すっかり仕事にも慣れ、いつの間にか会社に役に立っている自分の存在に気づいた。しかし、祖父や叔母は、折角電気の学校を卒業したのに事務職を続けている私に疑問を抱いていた。もし、機会あれば、電気に関わる仕事をさせてやりたいと常々思ってくれていた。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『180度生き方を変えてくれた言葉』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。