もう一つ、この作業を困難にさせたものが、彼女の世界観、人間観であった。彼女のものの見方は自分の体験と結びついておらず、抽象的過ぎて自分の意志や生き方を考える指針となりにくかった。時には、邪魔にさえなった。本の虫、ということがこれまで何度となく彼女を救ってきたが、この場面では彼女が現実に生きる妨げとなり始めていた。

我慢するのは当たり前、妹にアンビヴァレントな気持ちを抱くわたしはおかしい、そういったことはすべて、本の知識や理屈から判断される。そうしてこの人が本来持っているセンシティヴな気持ちはどこかに追いやられているのである。[論理的な介入]で理屈はわかっても、気持ちがついていかないのだ。

母に傷つけられ満身創痍でサバイバルを続けているときは、それが必要な態度であり、彼女がそれ以上傷つかないように彼女自身を守ってくれたであろうが、自分を取り戻そうとするこの瞬間には、理屈や知識による知性化が大きな壁となって立ちはだかっていた。

それを変えようとした彼女とのやり取りの例を挙げてみよう。

〈頭で考えるのではなく、自分の好きな食べ物をぱっと思い浮かべることができますか?〉

「? 好きなもの? 食べ物? 何でも好きです。好き嫌いはありません。食べ物を残すのは良くないから。それに、母に叱られるから。えっ、違う? 一番好きな食べ物? うーん……」

〈彼のことを思い浮かべたとき、どんな気持ちが湧いてきますか?〉

「好きです。えっ、それ以外? 気持ちですか? 感謝しています。答えになっているかしら……」

「一緒にいると? うーん、えーと、嬉しい? 嬉しいってそういうことなのかな、どうなんでしょう」

〈彼と食事をしているときに、わたしの食べ方がおかしいと感じるそうですが、どうしてそういう気持ちになるのか、もう少し詳しく説明してください〉

「彼から見てわたしの食べ方が変じゃないか心配なんです」〈心配なんですね〉

「ええ」〈食べ方が変だと思われると、何が心配ですか〉

「えっ、変だと変じゃないですか」〈彼に変だと思われたら、どう思いますか〉

「ええっと、困る? んー、違うな……」〈嫌ですか?〉

「ええっと、そうです、そうです。嫌です」〈どうして嫌なんでしょう〉

「だって恥ずかしいじゃありませんか」〈なるほど、食べ方がおかしいと思われると恥ずかしいから気になるんですね〉

[リフレクション]を繰り返しながら、感情に焦点を当てて、それを明確にしていく。頭でっかちの世界から、わたしが笑い、わたしが涙して、わたし自身が息づく世界へと辿っていくための悪戦苦闘である。自分で自分を守り、癒すセルフケアができるようになるには、自分で自分の感情に気づくことが何よりも大切だ。