宗教的に悟得(ごとく)した時の感動は、所詮は言語では語り尽くせず、もどかしさを感じます。宗教の原典を調べたり解釈しても、その深奥に到り得るのは至難のわざです。神道には他の宗教の聖書やコーラン、経典のような言語による理論体系はありません。だが、日本人の日常生理の中に(あたか)もDNAの如く組み込まれた神道ダイナミズムが存在し、神前の柏手(かしわで)でその悟得が自然に感得されると私には思えるのです。柏手は、心身清浄、カタルシス、浄化作用と言えるのではないでしょうか。

神道はお(はら)いにより日常の罪障(ざいしょう)を洗い流し、再び清浄に立ち返る再生と復活であり、神社で行う、二礼二拍手一礼は心身浄化の独特の表現手段です。

私は、毎朝、自分の考えた祝詞(のりと)を上げています。神様の前で、柏手を打つ行為、(はら)え給えのお祓いは、それまでの過去の(つみ)(とが)を打ち払って再び一から出直す、再出発の儀式ではないかとさえ私は思っています。

人間は水がなくては一日たりとも生きられません。その水を育むものは緑、森林であり、日本の神様は清浄を最高としています。その清浄を(もたら)すものは水です。私は日本の神様の原理が日本そのものの原理であり、それは「緑と水を(あが)める」ことだとも考えています。

森と言えば、日本には「植林の思想」が千古脈々と続いております。伊勢神宮は三百年先の遷宮檜用材のために真剣に植林をしています。この植林思想のない中国とか朝鮮半島を思い浮かべて下さい、禿げ山と砂漠化です。人類文明発祥の地チグリスユーフラテス、森のないところ、文明は枯渇しています。

現在、地球人口激増のため、世界規模で深刻な水不足、排気ガスによる温暖化が深刻化しています。中国の黄河は干上がり、米国、インド、中央アジア等、世界的に地下水が枯渇しています。ロシアのアルタイ湖等は数年以内に干上がると言われています。このように地球が限界を示しつつある現在、「緑と水」を大切にする神道が「生命」を救う原理であり信仰だと外国では気付き始めています。当然でしょう。森の消滅は文明の消滅であることは歴史が証明しています。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『 日本を哲学する』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。