【前回の記事を読む】捜査一課の訓練を終え…「話す暇がなくなった。殺しだ。」

第一章 屈折した凶行

「吉先輩お疲れ様です……」

キープアウトのテープの内側で鑑識作業を見守っていた検視官の吉岡は、一課長の声で振り返った。

「あ~花ちゃん、こりゃぁ久しぶりの殺しやな、それに名刺は落ちてないみたいだ」

大学で二つ上の剣道部の先輩である吉岡は、上司である花田に普通の会話はこういう気軽な話し方をしていた。花田も自然に受け入れるところにこの課長の人柄が出ていた。

名刺とは、事件現場で明らかに犯人はこいつ、という事件で、身内の犯行や、多人数の中での犯行など、最初から逮捕状の請求に入れるか、明らかな容疑者が出ている事件をいう。

「そろそろ足の採取が終わり、もう少しでご遺体見れるよ。花ちゃん、一番待機は誰だ?」

「豊永入れています、現場いますよ。そういえば先輩の教え子ですよね?」

(とよ)か、ちょっと優し過ぎるとこがあって、刑事になったころから心配していたが。まあ、班長張ってもう2年、頑張ってるな」

花田は無言で頷いた。

吉岡悟・56歳、捜査一課の検視官である。年齢の割には若々しく、170センチちょっとの身長に一切贅肉がない身体をしている。警察でいう教え子とは、警察学校時代の担任と生徒の関係をいう。吉岡も警部補時代に警察学校の担任教官をしていた。その関係は、たまに階級が逆転することがあっても不変であり、生涯“先生と教え子”の関係が続く。

「検視官! 入ってください、写真からいきます」と鑑識課員の大声が聞こえた。

まず、遺体の周りの足跡などを採り終わらなければ他の者は絶対に近寄れない。先着の救急隊と制服警察官は除外であるが。いくら殺人死体と分かっていても当然救急救命が優先される。

ただ、首が切れているとか見るからに腐敗している場合や、明らかな死後硬直がある場合なども救急隊の搬送はない。これらは一般に「社会死」といわれ、医師の死亡判断が不要とされる所見である。今回も明らかな硬直を認めて搬送していなかった。