そんな思いも加わり、二年前、『小林秀雄全集』を購入した。難しくてなかなかページは進まないが、何となく少しわかったような気がした。『小林秀雄追悼記念号』の「信ずることと知ること」は、小林秀雄の形見だと思って大切にしてきた。

「きみは信仰を持っているかと聞かれれば、私は言下に信仰を持っていると答えるでしょう。(中略)。自分自身が先ず信じられるから、私は考え始める。そういう自覚を、いつも燃やしていなければならぬ必要を私はいつも感じている。放って置けば火は消えるからだ」

このような文章の中に、この人の生きる基盤があるように思えた。『近代絵画』を読むと、それぞれの画家たちによせられる眼差しがとにかく凄い。そしていかに、貧しき者たち(民衆)に心を寄せていたかが感じられる。

改めてボードレールの解説の深さにも驚かされた。現実を生きるために、どのような苦闘の人生を歩まれたのかと、考え込んでしまった。小林秀雄を知ることは、小林秀雄を知らないことに気づくことに他ならない。「無常といふ事」も「モオツァルト」等も一種の求道者だったように感じられる。

本居宣長の独学と信じることの大切さを綴った本に出会った喜びも大きい。「誰も万人向きのやり方でこの世を渡ってはいない。といふ事は、どんなによくできていても、万人向きのやり方では間に合わぬ困難な暗い問題に、この世に暮らしていて出会わぬような人は、先ずいないといふ事だ。そして、皆、何とかして難題を切り抜けているではないか。

他人は当てには出来ない。自分が頼りだと知った時、人は本当に努力を始める。どうあっても切り抜けなければならぬ苦境にあって、己の持って生まれた気質の能力が実地に試される時、人間は、はじめて己を知る道を開くであろう」

(『本居宣長 補記』/小林秀雄)より