安羅子はどうしていいのか躊躇したままだ。

「これは我れの国の北にある姫川から採れた()(スイ)だ。これを我れとの絆の印と思ってくれ」と、男大迹は言いながら首にかけてやった。安羅子は男大迹と目を合わせたまま右手でそっと石を握りしめた。その手に力と眼に喜びの光が感じ取れた。

男大迹はそれを確かめると致福に命じて、安羅子一行に付き添って送らせることにした。併せて大和まで足を延ばさせ、半島より無事に帰還した旨と、自身は百済からの石工たちを三国まで連れて行き、必要な手配を済ませたのち、十二月までには参上する旨を伝えるために向かわせた。

「達者に暮らせ、またいずれ会おう」と男大迹は安羅子に声をかけ、湊の方に引き返した。

その後、無事に三国湊で男大迹は下船し百魚と話し込んでいる。

「太杜さま、何とか無事に帰国でき、我れも肩の荷を下ろしました。しかしこの船も年に一度は韓カラまでの長旅を重ね、この度の嵐にも遭いかなり傷んでおります」と百魚は告げた。

「そうだなあ、まずはこの船を高麗津コマツ(現在の小松)に回して修理し、来る年には新しく船を設えて韓行きに備えるか。さらに大きく堅固な船を造ろう」と男大迹が応えると、「畏まりました。太杜さま、すぐさま手配に取りかかります」と勢いよく船に乗りかけた。

その後ろ姿に男大迹は微笑みながら、航海中に考えてきたことを大声で叫んだ。

「そうだ、『持衰』の要らない船を造ってくれ!」

後に倭の大王となり、後世の史書に「継体天皇」と諡される人物である男大迹。百済と倭国の今後の成り行きも気になるところだが、まずは男大迹の出生からこの物語を始めよう。

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『継体大王異聞 【文庫改訂版】』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。