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国田克美という女

当初の年間行事予定において、戴帽式後の祝賀会は予定されてはいなかった。

国田は祝賀会を開いて、学生主導の会として、各学生間の親睦を深めようと考えて発案したものである。国田は自分一人で決めて、戴帽式の前日に専任教員の了解と学校長、副学校長に電話で承諾をしてもらった。徐々にワンマン振りを発揮してきたのである。

戴帽式の翌日の二時限目の講義を中止し、第一〜三学年まで約七十分間を茶話会形式とすることにした。後の二十分は会場の後片付けと清掃の時間に充てた。学生主導の会のため司会者は学生である。

各テーブルにはお茶と駄菓子が用意されているのみで質素であった。村山学校長と久船副学校長は出席するように国田から依頼されていたが、二人とも診療時間であったため断った。

しかし、どちらかの先生は挨拶のみ三分間ぐらいして下さいと懇願された。村山は命令口調で「久船、お前が行け」と言った。久船は親分の言いつけは守らなくてはならないので、挨拶に向かった。

「二年生の皆様、昨日は戴帽式があり、おめでとうございました。皆様、尾因市は造船の街ですが、皆様もご存知のように一隻の船が完成して処女航海に出るまでにはいろいろな儀式があります。まず、設計後の建造契約、次に起工式、進水式、すべての艤装を終えて完成後引き渡しとなり、処女航海に出発します。皆様も入学試験、入学式、戴帽式、卒業式、看護師国家試験の合格を経て看護師として就職をしますね。これらは学生時代の大きな節目ですので昨日の戴帽式を忘れずに、これから基礎実習が始まりますので、気を引き締めて頑張って下さい。今日はその祝賀会ということですので、リラックスしてごゆっくりと楽しんで下さい。また、実習については、第一期生の三年生も出席していますので、いろいろな情報を聴いてみて下さい。以上、簡単ですがはなむけの言葉とします」

久船は足早に祝賀会を後にして、診療所に帰って行った。

数日後、久船は薬理学の講義に登校してきた。国田に会った時に久船は「先日の祝賀会はその後どうでしたか」と言った。

「それはそれは大変楽しい会でしたよ。学生の司会者も上手だったし、戴帽式を思い出して改めて感激して壇上で号泣した学生もいたし、同時に壇上にいた学生ももらい泣きをしたかと思うと、その学生たちは次は歌を歌って楽しく笑っていましたよ。泣いたかと思うと、数分後には歌合戦になっていましたし、大騒ぎでしたよ。久船先生も最後までいらっしゃったらよかったのに……」

国田は久船が早退したことに対して皮肉った。

「それは楽しかったようですね」

久船は国田の言動に何か引っかかるものを感じた。確かに楽しい会だったと報告してくれたが、診療に多忙なことは明白だと知っていながら、学校でもっと働いて下さいと言わんばかりである。国田は何やかやと行事には学校長、副学校長に終始出席してくれと常々言っている。

その度に欠席すれば国田は村山、久船に貸しを作って優位に立とうとしているのではなかろうか。副学校長としての久船は少し不機嫌になった。国田は載帽式の茶話会形式の開催であったが、学生からはみんなが爆笑するようなスピーチや歌や踊りで躁ぎ、楽しい一時を過ごすことができたと、さらに人気を得て感謝された。

また、国田はこれまで参加していなかったスポーツ交流会に学生たちを参加させたり、バイク通学をしている学生の交通事故防止のために尾因市警察署の交通課にお願いしてバイク講習会を実施したりして、学生たちにイベントを楽しむ機会を増やした。こうして、学生たちから絶大な人気を得て国田はカリスマ教務主任としての道を歩むようになった。