大量に採用された「あぶく銭稼ぎ要員」は、本業では全く役に立たないからだ。後輩の社員にどんどん追い抜かれ、それでもなお会社にしがみついた連中は、やがて、窓際に追いやられた。才能のある者も、企業の早期退職制度を利用して、早々と会社を辞めていった。バブルの中でも、自分を見失わずに着実に自己を磨いてきた人たちは、優秀な者同士が集まって会社を作る動きもあった。

IT企業を創業し、瞬く内に優IT業に育ったケースもあった。昔のよしみで、就職を希望した者たちもいたが、皆断られた。個人で株取引を始めた人もいた。バブル期に、投資部門で雇われ、バブルの崩壊をいち早く察知して、さっと身を引いた人だった。会社にはそろそろバブルがはじける気配があると進言したものの、受け入れられなかったから、と言っていた。

義理は果たしたから、後は御勝手にと言い残して、その人は企業のくびきから解放され、その才能を縦横に駆使して、バブル後の日本でも確実に稼いでいた。僕は、数社を渡り歩き、やがて今の会社に落ち着いた。心はまだ、ざわつくことがある。

しかし、そのようなとき、その会社は僕を平気で野に放っておいてくれた。おかげで、遠のいていた熊本にも帰ることができるようになった。現代社会に生きているということは、ある一定のルールの中で、生きているということであり、それが地域であったり、コミュニティであったり、国家であったりする。

人と人との交流があってこその社会であろう。人とのコミュニケーションをちゃんととれなければ、社会の中で生きていくことは難しい。自負心の強い僕は、これが苦手だった。

社会のルールを犯すと、社会の秩序からはみ出てしまうことになる。秩序の統制が取れないからだ。自負心は強くても僕は精いっぱい社会のルール、会社のルール、組織のルールは守ろうとした。