【前回の記事を読む】日本最古の歴史書『日本書紀』にも現れる、ユダヤ系の示唆

1.多氏は何ものか

そして国譲り戦に登場する首長や将軍の名は、『古事記』の記載に合わせて、その対戦ごとにaからcに3分割して表示する(cの地方名と将軍名は『日本書紀』から)。

a.出雲軍:大国主、事代(ことしろ)(ぬし)(たけ)御名方(みなかた)⇔天孫軍=建御雷之男神(たけみかづちのを)

b.大和軍:饒速日(大物主)、那賀須泥毘(ながすねび)()⇔天孫軍=神倭伊波禮毘古命(やまといはれびこの)(神武天皇)

c.非服従の地方:イ、北陸(くぬがのみち)⇔天孫軍=大彦命(おほびこのみこと)

         ロ、東海(うみつみち)⇔天孫軍=武渟川別(たけぬなかはわけ)

         ハ、西道(にしのみち⇔天孫軍=吉備津彦(きびつひこ)

         ニ、丹波(たには)⇔天孫軍=丹波道主命(たにはのちぬしのみこと)

国譲り戦は、神話の上ではa〜cに3分割された描写になっているが、実際は、同時期に行われた1回限りの戦いであった。にもかかわらず、後世の持統女帝が、彼女の孫(文武)への皇位継承を正当化するため『記紀』神話を捏造して、女神アマテラス(持統)から皇孫ニニギ(文武)への皇位継承神話にすり替えている。すり替えの首謀者は藤原不比等であり、妻の橘美千代を通じて、彼は持統天皇の寵臣であった。

先の『古事記』引用文で注目すべきは、親子関係を記載する部分である。すなわち埼玉(さきたま)稲荷山古墳の鉄剣銘にあるような、『旧約聖書』「歴代志上」の記載方式=「親子関係をずらずら並べて連続記載する方式」が見られることである。

大物主大神、陶津耳(すゑつみみの)命の女、活玉依毘賣(いくたまよりびめ)を娶して生める子、名は櫛御方(くしみかたの)命の子、飯肩巣見(いひかたすみの)命の子、建甕槌(たけみかづちの)命の子、(あれ)意富多多泥古ぞ。→(大物主の子、櫛御方の子、飯肩巣見の子、建甕槌の子、意富多多泥古)

参考:「歴代志上」7. 4―25〜27→(ベリアの子はレバ、その子はレセフ、その子はテラ、その子はタハン、その子はラダン、その子はアミホデ、その子はエリシャマ、その子はヌン、その子はヨシュア)

この記載方式は、意富多多泥古の母方血筋において、ユダヤ系の人々が活躍したことを推測させる。「河内の美努村」に住んでいた「陶津耳命」は、その名「陶(=陶器)」が示すように、高熱処理技術を得意とする土器や埴輪の製造業者であったと思われる。