しかし、米国は前述のようで、それがこの地域を旅行する米国青年たちに反感や嫌悪感としてはねかえっている。そういえば、アテネのユースホステルのトイレにこういう落書きがあった。

There is Government of America

There is People of America

Pleaes don't confuse these

いかに、米国と米国人が各地で嫌われているかがわかるではないか。そして、これらの地域を旅している若者たちが、現地の人からいかに冷たい目で見られ、応対されているかがわかるではないか。

ここダマスクスのユースホステルに同宿している米国人学生のMとBがいる。われわれ日本人には何の制約もないが、シリアのビザは米国人の場合は三日間のトランジットビザしか取得できず、また通常は二シリアンポンドの申請代が米国人は四十シリアンポンドと二十倍も必要とするように、差別されている。

かれらはアラビア文学を専攻していて、この旅行の費用は大学が出してくれたのだそうだ。また、ベイルートのユースホテルで会った米国人は、米国政府から派遣されてパレスチナ難民の子供たちに勉強を教えていて、その期間が終わったので帰国の途中にベイルートに立ち寄ったと言っていた。米国及び米国人がこのように内にこもるのではなく「前へ! 外へ!」と、とにかく世界に出かけ、働きかけているのは評価してよい。

また、中東地域は常に政情が不安定で、五ヶ月前の一九七三年十月にはエジプトとイラクがイスラエルを攻撃した第四次中東戦争があったばかりだった。このため、当時はイスラエルのビザを持っている旅行者にはアラブ諸国のビザは発給されなかった。

それで、イスラエルはひとつの国であるがアラブの国は多数あるので、私はイスラエルの旅行を断念してアラブ諸国を旅することとした。さらに、当時はイランとイラクが紛争状態にあるため、レバノン、シリアでイランのビザを申請したが取得できていない。特に、紛争の当事者であるイラクからイランに入国するためのビザ取得は厳しい状況である。

イランのビザはイラクのバグダッドでイラン政府を代行しているスイス大使館で再挑戦することとして、MとBもベイルートに発ったし、とにかく夢のバグダッドに向けて出発する。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『国境』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。