父の獅子(しし)(がや)英介は既に出勤しており、二人は食事を終えて学校へ行く。

二人とも同じ公立小学校に通っている。千尋(ちひろ)小学校の、佑介は五年生で、真理は二年生である。学校まで歩いて二十分くらいかかるが、友達がだんだん集まってきて、にぎやかにしゃべりながら登校するのがいつもの朝の風景である。

授業が終わると、真理はさっさと家に帰り、佑介はサッカーの練習に行く。

千尋小学校のサッカー部は盛んではなく、もともと六年生があまりいなかった上、受験やら何やらとやめてゆき、今では五年生が上級生として活動しており、佑介はエースでキャプテンとして頑張っているのである。

佑介は、練習をしていても、夢のようにはうまくいかず、ドリブルをしてもすぐにボールを取られ、ヘディングしてもゴールに入らない。

おかしいな、今朝はあんなに簡単にゴールできたのに、と夢を懐かしんでいる。

父の言葉を思い出す。「獅子谷家、家訓、夢は見たものだけが叶う」

夢を見ないと、叶うはずがない、まずは夢を持て、ということらしい。でも、僕は今朝夢でゴールを決めたのに、おかしい。靴が悪いのかな、と靴を見ると、もうかなりボロボロになっている。

「この間、買ってもらったばっかりなのに、新しいの買ってくれるかな」とつぶやく。

ともかく、佑介は今日の練習は終わり、友達と一緒におしゃべりしながら帰宅した。

日が暮れて、佑介が泥だらけになって帰ってくると、家には誰もいない。両親は共働きで夜まで帰ることができない。夕食は、母が帰ってから作ることになっている。妹は、友達の家に遊びに行ってまだ帰っていない。

佑介は、帰るとまずテレビをつけて、ゲームをする。両親は、共働きで、いつも家にいることができないので、ゲームは買い与えている。ゲームを買う時の条件として、帰ったら、まず先に宿題をやれと言われているが、これを守ることはない。両親がいないのだから、自由だ。帰ってくるまでにやればいいと思っている。もしできなくても、妹だって遊びに行っているんだから自分だけが怒られるはずがないとも思っている。

しかし、妹は要領も頭もいい。帰ってからすぐに宿題を済ませ、それから、家にあるお菓子を持って友達の家に行っているのである。佑介は、ちょっとゲームをして、両親が帰る前にさっと宿題ができると思っているが、できたためしがない。いつも、まだ宿題をしていないのかと怒られるのだが、いざ帰ると、すぐに宿題をやる気にはなれない。家に帰ってすぐに勉強できるやつの気が知れないと思っている。まず、ちょっとゲームをして、気分を変えてからやろうと思うし、自分にはこれが合っていると思っている。

それに、ちょっとゲームをしてからでも、親が帰る前にはすぐに宿題なんてできると思っているのだから、これまたしかたない。できたためしがないのだが、この点は学習できない、というか、いつも、今回は両親が帰る前に宿題をできなかったが、次にはきっとできると思っているので、学習する気もない。

だからといって頭が悪いというわけでもない。それどころか、いつもそこそこ成績はいいから、自分は頭はいいと思っている。すぐに勉強に取りかかれるとか、勉強に集中するということはできないが、そんなことはその気にさえなればすぐにできるし、それをすれはもう自分は無敵になるが、今はまだその気にならないだけだと思っている。

しかし、「遊びよりも勉強を優先できる。やり出せば集中できる」ということ自体が勉強ができる者の重要な能力であること、自分にはその能力はないことには気づいていない。

※本記事は、2022年1月刊行の書籍『獅子谷家の事情』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。