ひとみはわめいた。そんなに怒るようなことだろうか。部屋を泥だらけにした訳ではない。スナック菓子の袋やペットボトルやつまみのトレーなどは捨てれば済むことだし、転がっている瓶は元の戸棚に戻せばいい。黙って片付けてくれてもいいのではないか。二人の見解に相違があるのだから、当然罵り合いの喧嘩にもなる。死ねとか、ぶっ殺してやるとかいう物騒な言葉も飛び出した。

もしもこのような出来事が中原夫妻の間で生じていたとしたら、喧嘩になどなることはなかった。たとえ純子がわめき散らしても、夫の悠矢は我慢して何も言わないか、何か言い返したところで、彼女を攻撃するようなことは絶対に言わないだろう。もうやめろとか、分かったからとか、謝罪に似た言葉を口にするだけだ。

その悠矢の態度は、罵りを受けても変わらない。純子は女王であり、悠矢は召使いなのだ。この両親の関係を見て育ったひとみは、男は簡単に意のままに操ることが出来ると思い込んでいた。だが実際は違っていた。悠矢のように大人しい男ばかりではない。

ひとみは夫の功太に、顔をげんこつで殴られて床に倒れた。思わぬ反撃を受けた訳だ。彼女の自尊心は傷付けられ、家を出た。ひとみは実家に戻り、夫から暴力を受けたことを、涙ながらに両親に打ち明けた。何が原因でそんなことになったのかと悠矢に聞かれたひとみは、功太が部屋を散らかしていたことを鬼の首を取ったように話した。彼女としては、非は100%夫側にあると信じていたからである。

確かに、夫の友人は片付けて帰るべきだった。それが礼節というものだ。その行いに対して腹を立てたって構わない。ただし、そこで怒りを直接的に相手にぶつけてしまっては、喧嘩になるのは当然だ。それに夫の功太君だって、ひとみが帰って来るまでに片付けようと思っていたのかもしれない。相手の立場になって物事を考えてゆくことも重要だと、悠矢はひとみをこんこんと諭した。

「今直ぐ功太君のところに戻って仲直りするように」

それが中原悠矢の考えだった。しかしここで、新婚夫婦に入った亀裂を、修復不可能にするような意見が純子から飛び出した。