たとえば、織物やレース産業用のアマ、タイマ、染料作物(アカネ、サフランなど)、ビール醸造用のホップ、タバコ、キャベツの種子、市場野菜、果樹栽培などです。このように、彼らは農業を生業から産業的に活性のある方向へ変化させました。彼らが工芸作物、園芸、果樹栽培、牧畜業に集中したことは農業に対する展望を大きく変化させ、土地の改善・改良に対する資本の投資をもたらしました。

土地が狭く農地に恵まれなかったオランダは、このように、古来、農業に知恵を働かせていました。この地域の農業はまた、牧畜とくに牛に力点を置き、その堆厩肥を作物に施しました。飼料カブが牛の冬期のエサとして導入されました。放牧地を計画的に改良するために、排水だけでなく、クローバーや当時「人工的草種」といわれた牧草が播かれました。

こうして農家は市場経済に注意するようになり、農業の営みが農産物の値段に左右されることとなりました。オランダ農業はヨーロッパ全域の農業関係者の原型となりました。このころからフランス絶対王政のルイ一四世は、オランダをはじめ多くの国に対する征服戦争を繰り返しましたが、オランダやイギリスはそれをはね返しました。

農業経済が発達していて、はね返すだけの経済力を持っていたのです。オランダが世界農業をリードし続けた歴史は、後述するように現在も続いていて、二一世紀農業のモデルといえます。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『劇症型地球温暖化の危機』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。