もう一人の加藤さんは人工呼吸器を付けていないものの、口を大きく開け、ずっと上を向いたまま、時々いびきのようなガァという音を発する。パーキンソン病と多少の認知症があるということだった。看護師が訊いたことに対し、本人からの答えは深い瞬き一回でYES、二回でNOの意思表示のはずなのに、二人はそれさえできていない。

基本的にコミュニケーションはとれていないが、看護師には、加藤さんに限っては理解できる日があるらしく「そうなの」と答えることがあった。加藤さんには五十歳過ぎの娘が一カ月に一回来て、かなり一方的に長く話す。私は不思議に思い、いい方法があれば見習いたいとの思いで、コミュニケーションの方法を訊ねたことがあった。

「私の独りごとなんですよ。お宅がうらやましい」と言われた。

京子は、瞬きと共に五十音字表と口パクで、ゆっくりではあるが、意思疎通を図ることができる。しかし、二人の収納箪笥の横には五十音字表が掛けられていない。そのことが納得できた。京子の病状は、私の素人判断だが、Nさんと二人の中間ぐらいの症状であろうか。ただ、加藤さんは認知症が邪魔をしていて実際には判断ができない。

部屋の入口から見渡すと、ベッドごとに仕切られているカーテンが、重症患者ほど意識的に開かれ、患者の状態が部屋の入口の窓からでも一目で把握できるようになっていた。私も帰る時、京子のベッドのカーテンの繋ぎ目の二か所を、廊下側の窓から見えるように、大きめに開けるようにしていた。

昼間は眠り姫のNさんと呼ばれ、夜になるとナースコールを何度も鳴らすことから寂しがりやのNさんと呼ばれている「Nさん」。看護師の間では、実名では呼ばれず頭文字だろうか、「Nちゃん」で親しまれていた。だから私も本名を知らない。

部屋の入口脇には患者名が書かれたプレートがあるが、全ての患者名にカバーがかけられていて、ちょっと見には分からなくなっていた。しかし、Nさんのカバーを開けた人が言うには空欄になっていたという。京子はNさんのバタバタで、一晩に一~二回は起こされたが、怒るより不思議な存在で興味を引く方が勝っていた。

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※本記事は、2021年7月刊行の書籍『ALS―天国への寄り道―』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。