私は離婚と同時に、新しい職に就かねばならなかった。三十七歳の子持ちは、派遣ですら登録させてもらえなかった。就職活動から帰ると、私はただひたすら本を読んだ。この十五年の結婚生活で、一体、私は何が悪かったのだろう。真実って何だろう。何が善で、何が悪なんだろう。男性は同時に複数の女性を愛することのできる動物なのか。

心理学の本を読み、ハウトゥー本を読み、営業の本を読み、手相や人相の本を読み、いつしか読書をしている時だけ、心が休まるようになっていった。十ヶ月間、ほぼ一日一冊のペースで本を読んでいった結果、彼の呪縛から解き放たれたような気がした。

事務職を探していたが、十社以上受けても無理だった。電話営業だけど話すのは苦手ではないからと受けた会社に、かろうじて合格した。そして、一九九七年春、私は十五年の結婚生活に幕を閉じ、二人の愛する子供の親権をもらい、離婚した。今となっては、離婚したあとも、子供たちのことをずっと第一に考えてくれた元夫に、心から感謝したい。

就職したその会社は月の営業成績に厳しい会社で、「藁でも売れ、売れるまで昼食はとるな」(今ではパワハラである)と言うような上司が揃っていた。休みの日もアポが入っていると、自宅から電話をかけた。営業の本を何冊も読み漁った。おかげで、人の気持ちを掴む方法を修得することができ、心理学が大好きだった私には、とても勉強になる仕事だった。

その会社でトップを取る月が増えてくると課長になったが、厳しい会社の方針を部下に植えつけなければならないことや、会社の営業方針そのものに納得がいかずにいた。しかし、アメリカ留学を希望して、学年でトップの成績を上げている長女と、育ち盛りの長男のために、お金を稼ぎたいという気持ちとの葛藤があったが、とうとう体が悲鳴を上げ出した。そのころには、毎日、胃腸薬と頭痛薬が手離せなくなっていた。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『座敷わらしのいる蔵』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。