第3節 アニミズム―生命と霊魂と神仏習合

無常観は「死」を連想させるが、一方、「精霊信仰」と訳されることの多い「アニミズム」、すなわち「自然界のあらゆる事物は、(中略)それぞれ固有の霊魂や精霊などの霊的存在を有するとみなし、諸現象はその意思や働きによるものと見なす信仰」(『広辞苑』)もまた、日本人の「死生観」の根底にある大きな要素として、これを二つ目に取り上げたい。

日本人の我々はアニミズムと言えば「木霊こだま」や「言こと霊だま言霊ことだま」を信じた万葉人、六条御息所の「生霊いきりょう」のために葵の上が死ぬ『源氏物語』、また、古くは『鳥獣戯画』を、新しくは『もののけ姫』のようなアニメ文化などを連想するかもしれないが、ここでは文化人類学の世界的権威として著名なフランス人のレヴィ・ストロースの発言から始めよう。

昭和63年に日本を訪れたレヴィ・ストロースは京都での講演で「日本は科学技術革新の先端を行く国でありながら、アニミズム的な考え方に対する敬意を失っていません。(中略)宇宙にあるすべてのものに霊性を認めることにより、アニミズム的思考は自然と超自然とを結びつけます。人間の世界と動植物の世界とを結びつけます。さらには物質と生命さえも結びつけるのです」(昭和63年5月号『中央公論』)と述べた。

確かに世界のトヨタ自動車は豊興神社を祭っているし、建築物の起工時の地鎮祭はその土地の神に対する挨拶と鎮魂の儀式として依然廃れていない。船舶の進水時には「入魂式」を、解体時には「抜魂式」が行われる。「『器物百年にして精霊と化す』という付喪神つくもがみの伝統的な心性」(註:高田衛「幽霊と妖怪」『江戸のアンダーワールド』平凡社二〇〇〇年所収。『器物百年』云々は室町期の『付喪神記』の言葉という)に従って、「針」も「筆」も「そろばん」も「人形」も、日本人はそれらに一種の「霊性」を認めて「供養」してきた。まして生き物であればなおさらだ。獲って食べた鯨の魂のために「鯨供養碑」も建てた。

NHK放送文化研究所の月報『放送研究と調査』二〇〇九年5月号には、前年実施したISSP国際比較調査(宗教)の「国内」結果報告が載っているが、「昔の人は、山や川、井戸や『かまど』にいたるまで、多くのものに神の存在を感じたり、神をまつったりしてきましたが、あなたは、こうした気持ちが理解できますか」の問いに、「理解できる」が26%、「どちらかといえば、理解できる」が53%いた。こうした心情をどう考えるべきか。

※本記事は、2019年1月刊行の書籍『オールガイド 日本人と死生観』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。