【前回の記事を読む】かけがえのない主君の死…日々泣き暮らす松永の取った行動とは…

永禄七年(西暦一五六四年)

三好本宗家の家督は、弱冠十六歳の十河重存が継ぐことに決まった。重存は十河一存の忘れ形見である。長慶様の長弟であった三好実休には男子が三人、次弟安宅冬康には男子が一人いるのであるが、十河重存の母は、前関白九条植通卿の養女であるため、その家柄と朝廷との繋がりを考慮して、長慶様は末弟の十河一存の子の重存を後継にお決めになったのである。ただ、そうなると十河家の跡取りがいなくなるため、実休の次男である三好三郎が十河家の養子となり、〈十河存保〉と名乗ることとなった。

三好本宗家を継ぐにあたって、十河重存様は、姓を三好と改められ、家督の相続を将軍義輝公に認めていたたくため、年賀を兼ねて上洛した。甲子の年であるこの年は、慣例により改元する必要があったので、安宅冬康と三好長逸の了承を得たうえで、儂は義兄で大納言の広橋国光卿を介して、正親町天皇に改元を上奏することにした。

前回の弘治から永禄への改元の時は、将軍が京を不在にしていたため、時の天下人であった長慶様が改元を上奏し、改元が行われ、異例なことであったが後世の前例となった。松永の家督は、昨年、倅の久通に譲っていたが、これだけは儂がやらねばならぬとの思いから、最後の御奉公と心に決め、儂は広橋国光卿を訪ねた。

「兄上様、折り入って御相談したきことがございます」

三好家に関する密事を儂は義兄に漏らそうとしていた。〈密事〉とは長慶様の御容態のことである。

「霜台殿、何をそう改まっておじゃる。相談ならいつも伺っておじゃるがのう」

国光卿は気安く受けるつもりで微笑んでおられたが、儂の思い余った眼差しを見て、真剣に向き合ってくれた。

「長慶様のことなのですが、実は、義興様がお亡くなりになられた後、呆けたように気力を失くしてしまわれて……」

長慶様のご容態について、身体に怠さを感じていること、気が沈みがちであること、特に朝は無気力を感じること、眠れていないこと、食事がすすまないこと、御政務に気が入らないことなどを儂は説明した。

「気鬱の病とな。もともと繊細なお人やったが……。それは難儀なことよ」

国光卿は心配気な顔をして言葉を返した。

「それゆえ周囲の者は、どうしたものかと頭を悩ませているところなのです」

「して、政事(まつりごと)については、どうされておじゃるのじゃ」

周囲の者がそれぞれ分担して事に当たっている現状を説明し、そのうえで儂は本題を切り出した。

「それで、ご相談と申すは、長慶様が未だ御健全で御政務に当たられていることを内外に示すべく、甲子の改元について、長慶様より主上(しゅじょう)に上奏したように見せたいのです」

「それは少々難しい御相談やわ。弘治の頃とは異なり、今は将軍さんも京においでです。将軍さんを差し置いての上奏はいかがなものか」