第2章 かけるくんの子ども時代

2 幼稚園時代

幼稚園はバリアフリーで、かけるくんのクラスは日当たりの良い六角形の部屋でした。子どもたちがかわるがわるかけるくんの車いすを押してくれました。誰がかけるくんの車いすを押すかで、しばしば子どもたちがけんかをしました。

また、この幼稚園では、園庭に小さな自然がつくってありました。小さな山や小さな川がありました。池にはアヒルがいて、ときどき川に落ちる子もいました。お母さんもかけるくんと一緒に笑ったりしました。

夏には蛍の幼虫を育て、大きくなったら園内の池に放して蛍祭りをやりました。今になって振り返ってみると、かけるくんの付き添いをしなければならなかったからこそ、経験することができた楽しい思い出もありました。最初は幼稚園から、「保護者の方が毎日付き添いをしてください」と言われていたのですが、いつの間にか一人で幼稚園に通ってもよいということになりました。

秋になれば運動会。運動会は、芸術大学のテニスコートを借りてやりました。かけるくんは、かけっこにも出場することができました。もちろん自分で走れるわけではないので手動車いすです。走る速度も遅いので、ゴールも短くしてもらいました。

それでも、配慮してもらえば手足が動かなくたって運動会に一緒に参加できるのです。障害のあるお子さんにとって、ただ見学していたというのと、ゴールは短くても、車いすに乗っていても、運動会に参加できたというのはまったく違うと思います。

学芸会では木の役をやり、芸術大学の音響の良い教室で合唱しました。ダンスもありましたが、かけるくんにはできなかったので、歌のパートを多くやりました。

幼稚園のときのかけるくんの運動機能は、お座りはバランスを取って何とかできていましたが、長時間座っているとだんだんと倒れるようになってきました。首も不安定で完全に座ったとは言えない状態でした。

手のほうは、筆圧は弱かったですが、鉛筆で丸や三角を書くことができました。自分でスプーンを持って食べることはできませんでした。今と比べても幼稚園のころからはあまり運動機能は変わっていません。その当時と現在を比べて大きく異なる点は、側弯がひどくなったことです。

例えば、より重症のタイプである脊髄性筋萎縮症1型のお子さんでは、まったく座ることはできず寝たきりで、ほとんどの患者さんで人工呼吸器が必要になります。それらの患者さんでは座ることがないので、重力の影響を受けずほとんど側弯は見られません。

しかし、中等症のタイプである脊髄性筋萎縮症2型のお子さんでは、多少の不安定さはあっても座ることができるので、重力の影響を受けて側弯が進行します。かけるくんのお母さんも、側弯がひどいことを気にして、座って勉強させていたほうが良かったのか、側弯がひどくならないように寝かせておいたほうが良かったのかわからなくなったと言っていた時期がありました。先日、愛知医科大学のリハビリの先生に、お母さんがその疑問を相談したところ、「お母さんの育て方のほうが良かったと思います」と言われて安心したと言っていました。

※本記事は、2020年4月刊行の書籍『希望の薬「スピンラザ」』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。