8月に入り、問題のテレックスも忘れかけた頃、部隊の広報担当のF中尉から電話が入った。

「ワシントンの国防総省からの返事で、NHKの提案OKです」。

私が「ありがとう、ソーリー司令官によろしく伝えてね!」と言うと中尉は「Yes,Sir. Mr.Yasuma」と私を「Sir」付で呼んだのには驚いた。何年か後に

「米軍では私のようなメディア・ジャーナリストは左官級の待遇をする慣例がある」

と知り

「なるほど、米軍基地にくればNHKで名簿の末尾にある自分も左官級か!」

と納得すると同時に10歳以上年うえの司令官が若輩の私に国防総省宛のテレックスを打つよう助言してくれたことにも合点がいった。運のいい事に、私も彼も階級は左官同士で同格の待遇をしてくれたのだろう。

もう一つ幸運だったのは、私が米兵と硬くもならず英語で交渉できたのはICUの寮生活の体験にあった。

私が学生時代に暮らした寮は4人部屋で日本人が二人、もう一人は香港からの中国人ジョセフ、そして残りの一人は新入りの米国人ジムであった。彼の父親は在日米軍のお偉方で日本に駐留していた。

この部屋の言語は日本語、中国語、英語なので共通な言葉は英語だけだった。週1回の連絡会も英語を使うので、黙っているとこんな事になってしまう。毎月1回のトイレ掃除が2回まわってくるのだ。

米兵と付き合いの多かったジムとの率直な付き合いの体験はまるでアメリカにいるような米軍基地内では大いに役立った。

「科学時代」制作のリーダー役で、当時は大阪局に転勤していた藤井潔大先輩はこの番組を見た感想を「はじめに」の項でお断りした「安間の足跡」のビデオの中でこう話している。

安間君はそれまであった手法で作らない。当時のPDには考えもつかない番組でしたね。B29のでっかいやつに乗って台風の目を撮るって言いだした。

米軍と交渉してね。負けた国のPDがね! その発想の大きさですよ。科学で台風の目を捕えようとした。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『私はNHKで最も幸運なプロデューサーだった』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。