いろんなことが脳裏をよぎったが、どれとして推測の域を出なかった。ただ一つ確実に言えることは、私が井上先生のことを誇らしげに語ったがゆえ、彼の音楽人生に対する積もり積もったコンプレックスに火を付けてしまった。音楽家の多くは自尊心が強いことは、自分の周りを見てもよくわかる。

また、それがなければ音楽をやる価値さえないと言ってはばからない先生や仲間たちがいることも十分すぎるくらい理解している。音楽に限らず、芸術家にはそれがなければ一人前になれないことも明らかだ。だからこそ、独創的な試みを繰り返し行い、そのことに自己満足することもあれば、自己否定することもある。

その連続を経て、いい演奏や作品が生まれることが多々ある。多くの芸術家たちはそんな過程を経て歳を重ね、生涯を送らざるを得ないのではないだろうかと考えた。瑠衣自身、今まで漫然と恵まれた環境で過ごしてきた。むしろこれを機会に、自分の人生をどのように生きていったらよいのかを考えるきっかけにしたい。

そう思うと、瑠衣は心が少し軽くなったような気がした。坂東の行為自体は決して認めることはできないが、自分の脇の甘さも反省するしか仕方がなかった。しかし、坂東が音楽や人生に対してもだえ苦しんでいる姿を垣間見るにつけ"人間ってなんと弱いものか"を瑠衣は再認識させられた。

瑠衣は、坂東に約十年間レッスンを受け続けてきたが、これを機会にキッパリやめることを決断した。そこで、坂東宛に短い手紙を書き投函した。内容はいたって簡単で、レイプのことには一切触れず、長い間お世話になったことへの御礼と「先生のこれからのご活躍をお祈りします」といった儀礼的な挨拶だけに留めた。当然のことながら返事はなかった。

四月からの新学期以降、瑠衣のフルートレッスンは、別の担任に変えてもらうことを学生課に申し出ることにした。大学のフルート専攻の友達や先輩に連絡を取り、細心の注意を払いながら“心機一転を図りたい”という名目で、坂東以外の担任のレッスン内容や指導方針について聞き回った。

音楽大学に通う学生の中には、専攻する楽器、声楽や作曲それぞれの科によっては、担任を変えてほしいと思っている学生も少なからずいた。しかし、音楽界は師弟関係で成り立っており、瑠衣はレッスンの担任を変えることは一大決心であることも承知していた。

幸いにも、「瑠衣ちゃんには、小島容子先生がピッタリじゃない」と薦めてくれるフルート専攻の先輩がいた。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『一闡提の輩』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。