「何学部だね。医学部かね」不意に常雄が訊ねた。

「いや、理学部だよ」

「理学部なら自動車の構造くらい知ってるだろう」

「そうでもないよ。工学部の機械科ならどうかしらんがね。ぼくは地球に関する学科だから」

「学生は暇かね」

「まあやり方次第だけど、理工科系の学生はそんなに暇でもないんじゃないかな。実験もあるしね」

「……あそこにお巡りがいるからな」

左側のコンクリートの長い塀がつきる辺りを視線で示し、右に曲がった。

「どこの喫茶店にいたんだ」常雄はいくつかの名前を挙げた。

「まだあるけどいちいち思い出せないな」

その言葉から推察すると少なくとも五、六軒以上は替わっているらしい。中学時代の彼からはちょっと考えられないという気がする。

「通っていたのか」

「ううん、アパートだ」

「ここらでどれくらいかかるものかな。生活費は」

明夫は今まで家から通学していたので、生活費などということは考えたことがなかった。就職して家から離れることになりそうなので、それが気になっていたのだ。常雄はかなり高い金額を言った。物価が高いといわれる東京だってそんなには掛からないはずだが。

「そんなに掛かるものなのか。かなり贅沢してたんだな」と明夫が言うと、常雄は「二人分だよ」と言ってにやりと笑った。

「おれ、同棲していたからな」

「同棲? 友達とかと?」

「馬鹿言え。女とに決まってるじゃないか。喫茶店のウェートレスだよ。あんたはそんな女はいないのか」

「そんな付き合いの子はいないな。君みたいにハンサムでもないし」

実際、常雄は背も高く、顔も彫りが深くハンサムといってよかった。

「学生ならいるだろう。隠すなよ」

常雄はどうしても明夫にそういった類の女がいることにしたいらしかった。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『春の息吹』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。