しかしここでも学校というものが彼女を助けてくれた。大学での勉強や交流は面白く、次第に授業だけでなく、社会問題を研究するサークルに入ったり、講演会に出かけたり、自分を刺激する外の世界に熱中するようになる。家にいると邪魔者扱いするくせに、外にいる時間が長くなると、母親は早速そのことを非難しはじめた。

また、自分がいないときは、父や妹が怒鳴られていると思うと、そのことがつらかった。成長しようとするとき、周りの環境がうまく合えば、われわれはあとから考えれば驚くほど積極的に、どん欲に、外に働きかけ、多くのことを吸収しようとする。一度それが動き始めると、生半可なことではそれを止められない。たとえ毒親であろうと。

家庭での葛藤との板挟みではあったが、外の世界への関心を保ち活動を続ける状態が続いていくと、状況は好転していく。サークルの仲間と参加した弁論コンクールに入賞したり投稿が新聞に載ると、母親は手のひらを返したように「おまえはわたしの子だ」、「やっぱり優秀だと思っていたよ」と歯の浮くようなお世辞を言うようになった。

「急に母は、わたしに高い服を買い与えたり、親せきや母の友人と会うときに連れ出すようになりました。親せきや母の友人たちに、娘の自慢と自分の苦労話をするためです。そのそばで、何もすることなく母の嘘を黙って聞かされていると、気分が悪くなり、しだいに母の得意そうに話す姿を見るだけで吐き気を覚えるようになりました。

わたしのことをさんざん自慢した挙句に、帰り道には決まってわたしに向かって、おまえは運が良かっただけだ、とか、おまえは思い上がっている、お母さんのおかげだということを忘れるんじゃないよと、くどくど言うんです。何が何だかわからず、口惜しくて涙がこぼれそうになるのを我慢するので精一杯でした」

努力して結果が出れば、母親がそれを自分の手柄にしてしまう。やればやるほど母親の自慢の材料となるだけなのだ。いったいどうすればいいのか。途方に暮れてしまうような状況だ。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『毒親の彼方に』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。