バブルがはじけ、人々の生活様式は一変した。皆、自信をなくしたのか? ついこの間まで、飛ぶ鳥を落とす勢いだった日本経済は、あっという間に(しぼ)んでしまった。買い漁った海外の不動産は、呆気なく他国に売り渡された。日本国内では生きていけないと、多くの企業が生産拠点を海外に移した。

グローバル経済──。そんな言葉が日本中を覆った。世界標準、グローバルスタンダード、外資による日本企業の買収、あえなく逆転した経済競争の地位を取り戻すことはできるのか。日本は長いトンネルに入っていった。皆、自信をなくしていた。そして、僕も、長く暗いトンネルへと入っていった。

僕は、生き残りをかけた、醜い争いをいやというほど見つめてきた。それが僕の心を蝕んだ。他人を押しのけることが平気になった人々。

日本式の経営手法など通用しないと、急に言い出したのは誰だったろうか。誰もが、疑心暗鬼に駆られていた。成果報酬主義、という言葉が世の中に浸透してきた。バブル景気の真っただ中に就職した人たちは、非正規労働者になった。バブル景気がはじけた後の若者はまともな就職先を見つけるのが困難だった。

厳しく、狭い就職戦線を勝ち残った者は、バブル期に採用された社員に、成果を上げよ、と言うようになった。成果を上げられない者が、成果を上げている者によって手にした利益から、給料をもらうのなんか我慢できない、という風潮が支配し始めていた。就職できなかった者は、非正規雇用に頼るしかなかった。

── 勝ち組と負け組。

なんて嫌な言葉だろう。この言葉を聞くたびに僕の心は暗く深い海の中に沈んでいった。

── 平気なのかあんた。

あんたの失敗で多くの社員が働く場を失ったんだ。何度となく、僕はその言葉を経営者にぶつけていた。そうしないと頭がおかしくなりそうだった。そう言い募る僕に向かって、経営者は、冷たい言葉を投げかけてきた。

── 嫌なら、会社を辞めろ。

僕は、本業を辛うじてつなぎとめていた、という自負があった。経営者はそれを当てにしていた。だから、理不尽なことを要求しながらも、僕が「辞める」と言い出さないか、戦々恐々としていた。その姿を見たために、もしかしたら、僕は図に乗っていたのかもしれなかった。立場は、いつの間にか逆転していた。

日本は泥沼の底に沈みかけていた。そして、いつしかデフレスパイラルから抜け出せない長いトンネルの中に入った。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『未来への手紙と風の女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。