プロローグ

オンライン追悼会

人類は我々の祖先と言われるホモ・サピエンスに属する一人の女性が、約十八~十四万年前にアフリカ大陸を出発してからの長きにわたる歩みの中で、数々の災難や試練に遭遇してきた。それは地震や洪水のような自然災害であることもあれば、人間社会が生み出した人災であることもあった。何十年も続く悲惨な戦争も体験したし、歴史上の革命のようにある朝目が覚めてみたら世界が変わっていたこともあった。

だが何度も感染症に襲われながら、その原因を究明するまでに長い歳月を要し、いまだに克服し得ないことを思えば、疫病こそは人類に課せられた最大にして究極の試練と言わなければならないだろう。

流行ミステリー作家・斉田寛が東京品川の自宅のタワーマンションの二十二階から転落して悲劇的な死を遂げたのはコロナウイルスの世界的な感染が始まるよりも少し前の二〇一九年暮れのことだった。

斉田寛の死はその人生の円熟期にあってしかも売れているミステリー作家の事故死として衝撃を持って受け止められ、人々の記憶にまだ新しかった。事故の報道記事は次のようなものである。

人気作家、高層マンションより転落死(二〇一九年十二月二十一日付け A紙朝刊より抜粋)

――昨夜二十日の夜十時ごろ人気ミステリー作家斉田寛氏(本名斎藤寛二、五十四歳)が品川の自宅マンションの二十二階から転落して死亡しているのが発見された。遺書はなく警察は事故死と自殺の両方の可能性を捜査している。

斉田氏は探偵・鳥海康介シリーズで知られ、同シリーズはTVドラマ化されて好評を博したこともある。故人を知る知人友人の間では斉田氏の死を衝撃を持って受け止めるとともに、その突然の死を悼む声が広がっている。

松野忠司も斉田寛の死に大きな驚きと衝撃を受けた一人だった。彼の受けた衝撃には個人的な理由があった。実は彼はその死のほんの二、三か月前に故人を取材したのだ。取材場所は事故のあったマンションではなく斉田氏が引越しする前の目黒の仕事場だった。

松野はインタビューのレポートを自分の主宰するネットニュースに動画で出していた。それもあって彼は作家の悲劇的な死を知ってとても他人事とは思えない気分だった――と言うより、彼にとってそれはその後に起きた世界的な疫病と相まって長く重苦しい日々の幕開けになったと言っていい。だが当人はそんな予感は当初全く感じていなかった。物事というものはしばしば本人が気付かないままに音を立てることもなく始まっていることがあるものだ。

実は誰が言い出すともなく有志が集まって亡き斉田寛の追悼会を都内のホテルで開く話が持ち上がっていた。しかし政府の緊急事態宣言の状況下ではホテルのパーティー会場を借り切って三百人以上の出席者が集まって追悼会を開催することは土台無理な話だった。