呼吸を確保しながら足を一歩、また一歩と確実に。喉に振動を与えないように壁をつたってゆっくりと動く。焦って一気に動くとたちまち首を締めあげられ呼吸が出来なくなる。

さらに階段を上がる作業は難易度が上がる。まるでギザのピラミッドを外側から登るほどの覚悟だ。頂上は果てしなく高く先が見えない。それでもこの先に困難があっても進まなくてはいけないときが人間にはある。吉田松陰の言葉を借りれば『かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂』である。

浅い息を整え、ゾンビのように階段に這いつくばってゆっくりと上る。少しでも息を荒げて肩と胸で呼吸してはいけない。喉に負担をかけずに出来る限り小刻みに口の内側で呼吸していく。やっと二階に着いたときには達成感などなく、息を切らせて暫く動けなかった。

喘息のせいで何度も病院へ通った。毎回昼間に発作が起こればいいのだが、そんなことはあり得ないのが病気というものである。ときには深夜に喘息がよろしくと顔を出した。

深夜、息が苦しくなり喘息が僕をたたき起こす。僕はこの地獄のような時間から早く救われたかったので母を起こした。

「お母さん、起きて……」

「……ん? どうしたの?」

「喘息が出た」

「……」

母は無言で病院へ行く準備をしてタクシーを呼ぶ。僕が親だったら同じように出来るだろうか自信がない。もしかしたら、子供に我慢させて寝てしまうかもしれない。親の愛は何処までも深い。そう感じざるを得なかった。

僕は喘息を通して愛を教わった

とは言え、タクシーで病院まで行くのだが、そのタクシーのところまで歩くのが本当に大変だった。家から数十メートル離れたところでタクシーがまってくれているのだが、そこまでがまるでシルクロードのように長く感じた。途中何度も吐いた。タンと一緒に胃液が垂れ流れ、口の周りにはヨダレがべたつく。黄色い汚物を垂れ流し、負傷兵のように休み休み歩いてタクシーに乗り込んだ。

また、ときには母に自転車で病院に連れていってもらったことや、深夜、父に車を出してもらったこともある。父と母は大変だったろうと今振り返ると頭が上がらない。本当に感謝している。

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『イジメられっ子の僕が愛を知った真夜中に』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。