「冬が過ぎて……春になって……もうすぐ春が終わるな……」

津の病院へ向かう車中で、息子がふと言った。運転していた私は、言葉を返しながらもたったこれだけの言葉に、心がほっこりして軽くなっていったのを覚えている。

彼が故郷に戻って以来、何度も何度も通院する車窓から、サザンカが咲き、桜が咲き、ムクゲや夾竹桃が咲き、稲穂や山の色づきを目にしたのであろうが、二度目の冬が去り夏の足音がする頃になって、初めて季節の移ろいや時の経過を口にしたからだった。

私は、ずっと息子の症状を理解できず行く先を案じていた。なぜ止められなかったかと悔やみ、生き生きした過去の姿を思い出して嘆き、親だから何とかしたいのに何もできないと悲しんだ。そんな辛さは出してはいけないという気持ちまで顔に出して。

そんな時(二度目の初冬)に私たち夫婦は家族会に出会った。出会った人たちは優しく前向きだった。温かい居場所だった。会に参加した後、「大きなものに身を任せよう。今日を生きて、明日を思おう」という気持ちが起こってきた。今から思えばこれが私の大きなスタートラインだったのだろう。

けれどもスタートラインに立てたからと言って、スタートできたわけじゃない。大きなものって何だろう? 身を任せるってどうすることだろう? と、もがいていた。

戻ったり立ちつくしたり横にそれたりしながら、「二男は、過去の全て─楽しかったことも嬉しかったことも、頑張ったこと・誇れることまでも全部─消さなくては生きられないのだな」と思い至った時、私はハッとした。「いやそうじゃない!『自我も理性も感情も全て壊せば生きられる』という動物的本能が、あの子のいのちを守ってくれたのかもしれない!」と思ったのだ。

とても乱暴な表現だが、「あの子は死んだのだ。そして私たちに三番目の子が授かったのだ」と腹に落とし込んだら、「今の息子と生きるのだ」という現実が見えてきて、少しだけ今日が明日につながった。

※本記事は、2021年12月刊行の書籍『なかむら夕陽日報【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。