【前回の記事を読む】本人の悲しみが投影されている?モーツァルト、唯一無二の音楽

10章 ピアノ四重奏曲第1K. 478

第1楽章アレグロ。冒頭部の旋律は第一主題でこれが繰り返される。

ト短調という調性であろうか、重厚な音楽であるが、同時に厳しさも感じられる。ピアノの音は強めであるが、弦楽器による伴奏は控えめで弱い音になっている。これが全体の調和をもたらしている。

第二主題は癒しの音楽で、ピアノが静かに語りかける。短調から長調への変化がこの楽章に減り張りをつけている。

その後第一主題に戻り元の世界に戻る。冒頭部とは少し変化をつけ、伴奏も大きな音で演奏され、最後に四つの楽器が強い音で合奏して終了する。厳粛で力強い音楽で、青年モーツァルトの情熱がほとばしる音楽である。

第2楽章アンダンテ。私がこのK.478の中で一番好きな楽章である。変ロ長調の調性で、静かで、穏やかな旋律(第一主題)をピアノが奏でる。弦楽器は伴奏にあたる。第二主題はヴァイオリンが奏でて、ピアノに受け継がれる。次いでヴィオラとチェロの伴奏の音が次第に大きくなり、緊張感も生まれる。

そのあと、第一主題、第二主題と繰り返される。最後に四つの楽器が合奏し静かに終了する。第1楽章の厳粛さの後の平和で安寧な世界に癒されて、心洗われる思いである。

第3楽章アレグロ・モデラート。軽快なピアノの音で始まり、ヴァイオリンに受け継がれる。ロンド音楽でモーツァルトらしい旋律が次々に現れる。ピアノとヴァイオリンが主役であるが、ヴィオラとチェロの伴奏も重要である。後半部に入るとやや音が大きくなり、力強くなり、重苦しさと不安もよぎるが、長くは続かず、冒頭部の穏やかな音楽に戻って終了する。

私の愛聴盤は遠山慶子さんのピアノ、ウィーン弦楽四重奏団のウェルナー・ヒンクのヴァイオリン、クラウス・パイシュタイナーのヴィオラ、ラインハルト・レップのチェロによる録音である(CD:カメラータ・トウキョウ、25CM-38、1982年5月ウィーンで録音)。テンポがゆったり目でとても好ましい。四人ともとても柔らかな音で、穏やかに、適度な減り張りで演奏してくれている。四人の演奏が良く調和していて素晴らしい。私の大好きな録音である。イングリット・ヘブラーのピアノ、マイケル・シュワルベのヴァイオリン、ギュスト・カポーネのヴィオラ、オットマール・ボルヴィツキーのチェロによる演奏もよく聴いている(CD:フィリップス、446579-2、1970年ベルリンで録音、輸入盤)。

第2楽章が特に素晴らしい。ヘブラーの穏やかなピアノの音色がこの曲にぴったりである。

11章 ミサブレヴィスK.49/47d

モーツァルトのミサ曲の多くはこの「ミサ・ブレヴィス」(略式ミサ、短めのミサ曲という意味)である。

この曲はその第一作目で、モーツァルトは12歳になっていた。モーツァルト一家は1767年の秋から1768年初頭にかけて「ウィーン旅行」に出かけた。当時ウィーンでは天然痘が大流行していたので、一家はモラヴィア地方のブリュン(現在はチェコでブルーノと呼ばれている)に一時避難した。

ブリュンは当時ハプスブルク家の支配下にあったのでドイツ語が使われていた。ブリュンには遺伝学の創始者である、グレゴール・メンデルが司祭を務めていた修道院があった。

メンデルは生まれ故郷のハイツェンドルフ(1822年誕生)から南にあるブリュンの修道院に勤め始めた。それから亡くなる62歳(1884年)まで41年間ブリュンで生活をした。家が貧しかったのでろくに教育も受けられず、兄弟のために21歳から働き始めた。それでも子供の時から好きであった博物学は亡くなるまで忘れることはなかった。

メンデルはここで司祭として働く傍ら、庭でエンドウの交雑実験を行い遺伝の法則を発見したのであった。1865年この「メンデルの遺伝の法則」をブリュンの博物学会で報告したが、学会からは全く受け入れられず、実に35年の長きにわたってその業績は埋もれてしまった。

メンデルの死後1900年になってオランダのド・フリース、ドイツのコレンス、オーストリアのチェルマックの三人が独立に「メンデルの遺伝の法則」が正しいことを証明した。