プロローグ

2020年のクリスマスに、友人から貰ったワインを飲んでお祝いをした。クリスマスの祝いではなくギランバレー症候群から生還して2年目の乾杯だ。何の因果でわざわざクリスマスの日に発症し、ICUに入るまでに至ったのだろう。おかげで私の中でクリスマスとギランバレー症候群は直結してしまった。今後はクリスマスを純粋に楽しむことはできそうもない。

2018年12月25日の早朝、目を覚ましたら手足が重しをつけたように重く、足はまともに歩くことができなくなっていた。前日まで1時間かけて2駅先まで歩いていたし何の兆候もなく、本当に突然の出来事だった。夫の車で近くの総合病院に行き、1週間に1度だけ在院している神経内科医に診察してもらった。そこで私はギランバレー症候群と診断され、大学病院に入院した。

初めて聞いたギランバレー症候群は、急速に筋力が衰えていく病気だ。私の発症がその日でなかったら、その病院に専門医はいない。私は運がいいのか悪いのか……そりゃ悪いに決まっている。翌日には喉の筋力まで衰えて人工呼吸器をつけたのだから。ただその医師に診察してもらわなければ、現在のように歩けていたか、生きていられたかもわからない。

いわば命の恩人と言うべき医師とお世話になった病院の人たちを、あろうことか殺し屋扱いし治療を拒んだりした。せん妄が見せた幻覚が原因とはいえ、今も恥ずかしくてまともに顔を上げられない思いが続く。(せん妄については第2章にまとめた)

大学病院に37日、リハビリ医院に82日の長期入院。娘たちと夫に支えられ、友人たちに励まされて何とか乗り切ることができた。私も家族も初めて聞いた病名だった。それもそのはずで、年間10万人に1人か2人が発症する。すべての患者が私のように重症化するわけではない。入り口も出口もバラバラな、不思議な病気だ。珍しいだけに情報が少なくて、患者と家族は不安な時間を過ごさなければならない。

私は今は歩けるようになり、一応家事もこなしている。症状の進行が速かった一方で、なぜ早期に手足が動き出したのか、どうして歩けるようになったのかはわからない。だから私と同じ治療をしても、同じようになるとは限らないかもしれないが、それでも情報はあったほうがいいと思う。私の発症から回復までの記録をまとめてみた。いつ誰が、突然体が動かなくなるか予測できない。なぜ私がこんな目にと嘆いても、病気は待ってくれない。

どんな病気にも言えることだが、体に異変を感じたらすぐに病院に行ったほうがいい。ようやく退院できたのに1年もたたないうちに新型コロナウイルス感染の拡大で再び自由を制限されることになるとは思ってもみなかった。人生はその先に何が待ち受けているか本当にわからないのだ。

2018年12月上旬から夫と娘と孫の4人でハワイに出かけた。海辺で砂遊びをしたり、元気すぎる3歳の孫を追いかけまわしたり、買い物をしたりしてとても楽しかった。その間私の体調には何の問題もなく、帰国後も24日までいつものように2駅先まで散歩をして、精力的に動き回っていた。クリスマスイブにハワイの写真を入れた自作の年賀状を作り、翌日印刷しようとパソコンの電源を切って布団に潜り込んだ。まさかこの年賀状がお蔵入りになるとは夢にも思っていなかった。