醒ヶ井あたりを歩く・その2

「次の宿場まで歩いてみぃはるかい」

とその人は言った。

「昔で言う一里、まあ四キロぐらいですがなあ。国道歩かんでもな、モーテルのわきから旧中山道がずうっと残ってますねや」

ああ、中山道! なんという心地よい響き。その言葉を聞くと、瞬時に頭の中に幼い頃の白黒テレビの画面が開く。『市川崑劇場木枯し紋次郎』のタイトルバック。鬱蒼と茂る森、どこまでも続く曲がりくねった細く白い峠道、旅姿の紋次郎が一人で歩くのを空から撮ったシーンである。

「一人で歩く、これが旅だ」

と強烈にインプットされる元になったシーンだ。紋次郎といえば、左の頬に刀傷、口にくわえた長い楊枝がトレードマーク。そして「あっしには関わり合いのねぇことでござんす」というお決まりのセリフと泥臭い殺陣たて。懐かしい。何度まねをしたことか。ラストシーンの、くわえていた楊枝をふっと吹いて的に突き刺すということは何度やってもできなかったが。

天気もよいのでお勧めに従って柏原まで歩くことにした。街道は古い松並木が残っていたり、ただ一本の梅がスポットライトのような日差しの中で満開だったりと、飽きることがない。二月とはいえ、少し汗ばむ道のりである。こんな時に口ずさむのは、もちろん『木枯し紋次郎』の主題歌『だれかが風の中で』だ。

やがて柏原に着いた。ここは日本一のもぐさの町だそうだ。江戸時代はいくつも専門店があって、大いに賑わっていたという。今は往時の賑わいはないが、広重の絵にも描かれている大きなもぐさ店がそのままある。そして店を覗き込むとギョッとする。

薄暗い中に座高二メートルはあろうかという福助が座っているのだ。これが福助人形の元祖だそうだ。福助さんはとても商売熱心なこの店の番頭さんだったそうで、彼の死後もその業績を偲んで人形が作られ店に置かれた。その話を京の伏見人形屋が聞いて、作ったのが福助人形。爆発的に売れ、現在に至っているのだそうだ。

福助のまなこ鋭し柏原

※本記事は、2021年10月刊行の書籍『京都夢幻奇譚』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。