五年後、周りにはマンションや一戸建てが増え、食品スーパーやクリニック、パン屋、果物屋と店も増えていった。Jは入居したものの管理組合や集まりには興味がなく、すべて奥さん任せでいた。その後二〇年の間には、Jにも大きな変化があった。勤めていた会社が合併された。相手は世界的に有名なP社だった。女性は戦力でそのまま採用、男は過剰人員として肩を叩かれ、多くは退社していった。Jも別の分野にと思い挑戦する。一年ほど頑張ったがどこにも採用されずにいた。

そんなころ街の中で前の会社の同期とばったり会った。彼は東京で自然派化粧品と雑貨の店の全国展開をし始めていた。その人材を探しているという。その後、今度はホテルのロビーでばったり。これが縁で会社を手伝うことになり、Jは四二歳の時、その会社の所長としてスタートする。新しい人材をスカウトし、エリアのメインデパートに出店、拡大していった。その後本社での単身赴任や、その間のフランチャイズ部門の設立・拡大にかかわり、定年を迎える。

そのころは六五歳まで働く流れだったが、Jは六〇歳を区切りとして退社した。同年、新しいビジネスをスタートする。マンション理事会のほうは定年後、時間に余裕ができたこともあり、理事の時は出席していた。マンションも築三〇年を越え、修繕計画が話題になった。大規模修繕工事は過去に二回していた。外観も美しさを維持しているようだ。

またそのころのマンションへの不動産のチラシは、販売価格が表示され、年数と部屋の広さ、駅からの距離が目立ち、これが資産価値を決める目安ですよ、と受け取れる内容だった。マンション内での出入りはあったが、二〇一九年春の時で新築時からの入居者が半数もいた事実に驚いたものだ。

 
※本記事は、2022年1月刊行の書籍『マンション理事会運営の手引き 』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。