第1章  令和の今、行政改革最高のチャンス

遷都か少なくとも分都を

農林水産省では今一つ考えていることがある。海洋国日本と言うのであれば水産省を分離すべきと考える。その組織には遠洋漁業局と近海沿岸漁業局、更には内水局つまり湖沼や河川などを管轄させる。

養殖課や深海課なども置く必要がある。何と言っても現場主義に徹するためにサンマ課は根室に、カニ課は函館、マグロ課は焼津、カツオ課は土佐清水、イカ課は境港、タイ課は明石か鳴門、という風に。

林野庁も国土の大部分が山林なので防衛庁がそうだったように省に昇格させ、里山保全や熊や猪、鹿などの獣害対策、北朝鮮にお株を奪われぬ松茸栽培、更には水源確保で国土保全と林業、木工業で過疎化対策を担わせるのが良いと考える。倒木が谷間に山積みされて豪雨のたびに流出、橋や堤を壊す人災対策にもなり一石二鳥の施策である。早急にやらないと、令和元年に発生した台風15号や引き続く豪雨など平成以上の災害が令和を襲うものと信じている。

経済優先の生き方と中国や印度の台頭で、この星、地球の自然環境は更に悪くなるのではと危惧するところである。今世紀は産業革命以来の借りを返すべきである。省庁が移転するとなれば、当該地方にはかなり大きな雇用や経済効果が期待できる。

政府は東京都の税収の一部を地方に振り分ける方向だが、今、地方でいくら働いても利益は皆本社のある東京に吸い上げられると多くの方は思っている。これは各都道府県でも同様で、県庁所在地の一人勝ちと同じである。つまり、税金を集めて再配分する行政官庁が強くなりすぎたのである。

私が中学校の社会科で習った頃は、札幌と小樽や旭川、青森と弘前や八戸、山形と米沢、長野と松本、富山と高岡、大津と彦根、岡山と倉敷、広島と呉、大分と別府などは殆ど同じ規模の都市であった。今は御承知の通りである。県庁所在地より大きいか互角の所は福島と郡山、群馬県の前橋と高崎、山口県の山口と下関、宇部位であろう。それだけ政治や行政の力が強くなり、商工業や観光、学園などだけで発展するのが難しくなっているのである。

地方分権は勿論、市町村レベルへの権限移譲、受け皿となる職員の資質向上にも取り組むべきである。自治大学や消防大学の充実は勿論、街興しへの人材育成や自治体病院の経営者育成も消防や警察と並び重要と考えている。経済財政諮問会議や財務省は自治体病院の経営が悪いと攻撃している。

自治体病院は不採算医療を担い、地域医療の最後の砦なのである。そのため何でもそろえておかなければならず、専門店に負けている百貨店のようなものである。滅多にない珍しい患者の薬も置いており、これは殆どがデッドストックになる。

この経営悪化に更に輪をかけているのが県庁や市町村など本庁からの事務職の異動人事である。医療は一昔前とは様変わりし、昨日まで税務や水道にいた人がすぐに対応できる時代ではない。診療報酬に関わる医事課などの殆どは、それを専門とする企業に委託する時代なのである。

この件では私の院長時代に信じられないことを経験した。現職の事務長が消防長にと、突然引き抜かれてしまった。そもそも消防長の職は消防大学校で教育訓練を受けた者でないと駄目で、市の人事課のミスで次の人を育てておらず彼しか資格者がいなかったらしい。

泣く泣く了承したが「1年に数件しかない火事の消防と手術や救急患者に毎日追われている病院とどちらが大事だと思うのか」と負け惜しみの啖呵を切った。次に着任した人が「ICUって何ですか?」と尋ねてきたので腹立ちまぎれに「三鷹にあるよ」と答えた。国際キリスト教大学(International Christian University)である。これではやってられない。

※本記事は、2020年2月刊行の書籍『令和の改新 日本列島再輝論』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。