「分かりました。出て行きます‼」

と、エプロンを急いで外しその場を出た。部屋に戻りすぐに荷造りをはじめた。するとそこへ、子供たちがそれぞれのリュックを背負って入って来た。息子三歳、緑色のカエルのリュックに自分のおもちゃを入るだけ入れて蓋をきちんと閉めて私の隣に寄り添った。娘三歳、赤色のネコのリュックに自分のおもちゃを入るだけ入れて、私の隣に寄り添った。子供たちの澄んだ瞳は、真っ直ぐ母を見ていた。

子供たちは、そばにいて一部始終を見ていたわけではない。怒鳴り合いの喧嘩をしているのを居間で聞いていて、二人で行動に移したのだ。この子たちは私のかけがえのない命だと身に染みた。些細な事が原因で、幼い子供たちに心配をかけて申し訳ないと思った。

しかし、後には引けない。キュッと気持ちを引きしめた。

「家を出るよ」

と、子供たちに向かって、強く厳しい口調で言った。間髪をいれずに、二人同時に大きく頷いた。ボストンバッグ一個に、通帳と印鑑と着替えと現金、母子手帳を入れた。行くあては、なかったが何とかするしかないと気丈な自分自身がいた。

さて、準備万端。殆どの荷物を置いていかねばならないが、後日取りにくればいいと思いながら車のキーを右手に握り締めた。その手にギュッと力が入る。新たな人生が、これからはじまるのだ。

その時、トントン、部屋のドアをノックする音がした。すぐに姑が中に入って来た。そして言った。

「行かないで欲しい」

あまりにも意外な言葉だったので躊躇した。言っている意味がすぐには理解できなかった。「出て行け=行かないで」では、数式が成立しない。出題が難しいのか、解答する側に能力がないのか。私は強気だった。

「出て行けと言われたら、いつだって出て行きますよ! さっき、そう言いましたよね」

いつから意地悪い性格になったのかは、予測がついた。売られた喧嘩は買うという考え方は、嫁いでから心の底にいつもある、私流の考え方。そしてたとえどんな相手でも怯まないと言うのも、いつも思っていることである。

姑は、さらに頭を下げた。その姿は、決して演技ではなかった。そこまでするならば仕方ないと思った。

「分かりました。今回は許します」

と言って、思い留まった。気分はスッキリ晴れることはなく、その後の時間は惰性で過ごした。子供たちは、私が何も言わなくても状況を察してか、安堵の顔で二人仲良く居間にリュックを置いてから、テレビを見はじめた。心配をかけてごめんねと、声に出せずに沈黙の空間で詫びた。

それから、舅は私と喧嘩をしても決して「出ていけ」とは言わなくなった。
子供たちも、決して「ママ、プリン作って」とは言わなかった。
プリン騒動は、一件落着に終わった。

私の戦いは、終わらない。

※本記事は、2020年10月刊行の書籍『プリン騒動』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。