【前回の記事を読む】卒論の実験に明け暮れるなか…男の人生を変えた1本の電話

始末書事件と2つの幸運

2つの幸運とは

もう一つの幸運は、部室の壁の部員名簿では最後尾に在ってもテレビ制作能力は、トップに近づく可能性のある職場環境にあったことである。総合テレビでの科学番組の放送初年度なので「ポケットサイエンス」のようなノンフィクション番組の制作者は部内に大勢いても1年以内の経験しかない。

そんなわけでラジオ番組では超ベテランでも、テレビ番組では新人の私と大した違いは無い。そう自分を信じさせる事が可能な時期の職場であった。それはNHKの長い歴史の中でも、万に一つの幸運な制作環境だったと言えよう。

さらに今思えば、こうした好環境を楽しむには一つ重要な条件があった。それは目上の人に、自分がそう考えていることを絶対に悟られないことである。この事は周りの人が皆ライバル関係にあるPD(番組ディレクター)のような仕事の組織では一層重要であった。

しかし私が無意識のうちにそれが出来たのは頭に沁みついていた「落ちこぼれで裏口もどきの入局」のおかげでもあった。常に「目立たないように行動」することが癖になっていたからだと思う。まことに幸運な劣等感であった。

「目立たないように行動」を心がけた理由はもう一つあった。特に六月の異動の時期になるとそうである。「理科系裏口もどき」で滑り込んだ私にとって、教育テレビチャンネルの学校放送制作部への異動の危険が常にあったからである。

科学的な視点でのバラエティー番組

入局当時、総合テレビ担当の科学グループのスター番組は夜の10時台に放送する「科学時代」であった。そして夜の人気番組は「夢で逢いましょう(略称夢あい)」という歌謡バラエティで多くのヒット曲がこの番組から生まれた。「科学時代」は「夢あい」と同じ霞が関の借りスタジオで、隣のスタジオを使って生放送していたので時間のある時にはよく「夢あい」のスタジオを覗きにいった。

梓みちよが歌う「こんにちは赤ちゃん」、坂本九の「上を向いて歩こう」、ジェリー藤尾の「遠くへ行きたい」、デューク・エイセスの「おさななじみ」など、この番組「夢あい」から生まれた歌をスタジオの副調整室の片隅で見聞して感激したものである。

私も駄目もとで科学グループのスター番組「科学時代」に企画を提案したところすんなりOKが出て入局2年目から1年に1本作らせてもらえることになった。これもテレビの先輩が少ない幸運な時期のおかげであったろう。

私が担当した中の1本に「魔術を解く」があった。スタジオで魔術を見せて、次にX線カメラで見ると自然にその謎が解けるという具合である。このシーンだけなら従来の番組と変わらない。この番組が従来のバラエティー番組と異なるのは番組全体を科学的な視点で通すことである。

言うは簡単だが実行は難しい。しかも科学的視点で構成する時には1つだけ追加の条件があった。それは「PDは科学の言葉を平易な言葉に変換する通訳者たるべき」という点である。この条件はこれから記述する全てに通じる条件である。