J君によると中学の時に訪問した一〇人のうち親が費用を全部出してくれた学生は二人だけで、J君ら八人は募金のためのグループを作り、各種作業をして親や親戚はもとより地域の人々に献金をしてもらった。前回は神栖に来る前に京都や広島の観光もしたために一人四〇万円かかったという。そのため親がかりで苦労なしの二人と他の八人の人間関係はしっくりいかなかった。グループの引率者でさえも費用はすべて自己負担だというからアメリカ人のボランティア精神はすごいものである。

J君は今回の神栖訪問のために三年間こつこつと一〇万円弱を貯めたという。この中には撮影用カメラも含まれている。彼はカレッジで映画製作と写真術を専攻しており、神栖でいろいろな写真を撮ってユーリカの人々に紹介し「神栖理解」のために使いたいというので、ホームステイ委員会の「拡大受け入れ事業」の第一号となった。

J君は、まじめで整理整頓もきちんとしていてハンサムな好青年である。米国沿岸警備隊に勤めていた両親に育てられたせいか礼儀作法もしっかりしている。

わが家に滞在中はKIFA事務局の訪問から始まり、市長や副市長の表敬訪問、神之池(ごうのいけ)のほとりのユーリカから寄贈されたガゼボ(あずまや)見学、書道教室訪問、神社の節分豆まき見学、ホームステイ委員会の歓迎ランチ出席、文化交流委員会による多文化の集い参加、若くして叙勲を受けている名匠の木工細工工房の訪問、ピーマン農家の訪問、ユーリカから寄贈されたレッドウッドの成長ぶりの撮影、外国人による日本語スピーチコンテスト見学、鹿島城址の見学など盛りだくさんなスケジュールであった。

書道教室訪問の時は正座して習字の練習をしたので驚いたが、柔術で正座を学んだという。わが家では和室で布団に寝てもらい、何度かの外食以外は日ごろの家内の手作り料理を食べてもらった。

訪問先や行き帰りの車の中での会話も楽しかったが、なんといっても食事をとりながら、あるいは食後の食卓での語らいは楽しく文化や政治からプライベートまで幅広く話し合い、私たちも大いに学ぶところのある有意義な四日間であった。神栖かユーリカで再会できることを期待している。