【前回の記事を読む】不治の病を専門にして…「56歳、新たに病院を立ち上げた」

自立への道―子供のころの夢の実現へ向けて

24時間365日体制の救急病院、西条中央病院の理事長は青山照美先生で岡山医専を卒業後、岡大病理に所属された。私はこの人から社会学を身をもって教えられ、恩師の一人と言える。青山先生は20代で西条町議会議長を務められ、政治には早くから関心を持っていた。健康上の都合で中央政界に出る野望は捨て、病院経営に夢を託していた。

その考えること、行動力はスケールの大きいものがあった。私はその病院で10年間、実地臨床をやりながら院長職を務める雇われ院長で、実地臨床に、社会学に磨きをかけた。50歳になり、開業の準備に入りかけたその目の前で1990年正月明けに未曾有のバブルがはじけた。

バブル崩壊が社会に与えた影響は甚大で、それを契機に世の中の景色は大様変わりをすることとなった。今動いてはいけない、世の中のお金の動きは止まり、人々の意欲も急激に低下し、まさに世の中の全てが凍り付いた。それまで大変なにぎわいを見せていた広島の流川、薬研堀は閑古鳥の鳴く街となった。

私は東広島の片田舎造賀に妻との終の棲家として家を新築していて、代金の支払いのため1989年12月26日全株を処分していた。従って全く被害にあわなかった。運の強い人間である。その後は冷静に世の動きを見て4年じっと待った。冷え切った世間にも幾分生気が感じられるようになり、改めてゼロからの発想で開業の準備を始めた。

[写真]患者を集めて講演活動を繰り返す。忙しい病院業務のかたわら、広島市内、山口県の各所に出向き集患に努めた。