【前回の記事を読む】待ちに待った介入!? 各学校経営に都教委のメスが入った瞬間!

卒業式と教員の服務事故(1) ~プロローグ~

当該校では、卒業式に係る服務事故が、わずか3年の在職期間中に毎年のように発生した。着任初年度の卒業式ではピアノ伴奏事件、そしてその翌年は教員の不起立、そして次の年もまた不起立と、事故が連続して発生した。

副校長2年目の時の不起立は、「歌・旗」(君が代・日の丸)に対する主義主張というより、校長の経営方針に対する恨み辛みであったと記憶している。なぜなら、当時、職員団体から校長に対して「ヒットラー」という揶揄が飛びかい、校長のやることなすことに反発があったからである。

そもそも、卒業式の実施要項というものは、一般的に実施3か月前から検討し始めることが多い。そして、要項が教職員へ示されると、決まって、組合との“交渉”が始まる。卒業式が迫ってくると、職員団体が校長室に押しかけてきて長時間に及ぶ団体交渉が繰り広げられる。

当然、私は校長室で、そこで交わされた発言を漏れなく記録に書き留めて“証拠資料”として作成する。ある時は、外部団体の幹部を連れてきての交渉となることもあった。一度の交渉では大抵、物別れになるので、それが、二度三度と続く。

こうした交渉は、勤務時間外で行われるので、定時制だと深夜に及び、時計の針が0時を回ることもしばしばであった。最終的には決裂のまま卒業式当日を迎えた。

さて、式の3週間ほど前になると、校長は職員会議などの席上で、全教職員に対し、「包括的職務命令」を口頭で行うことになっている。さらに1週間前までには個々の教員に対して「個別職務命令」を文書で発することになる。これらすべてのやり取りを行った日時を正確に記録にとっておく。理由は、言うまでもない、訴訟対応のためである。