ハイドパーク協定(原爆使用の英米協定)

イギリス国立公文書館所蔵ファイル(PREMIER3/139/9)によりますと、チャーチルは一九四四年九月一八日、ハドソン河畔のルーズベルトの別荘ハイドパークを訪れ、以下のような「ハイドパーク協定」を結びました。

① 原子力の管理と使用に関する国際協定を目指すため、世界に公表すべきという提案は、受け入れず、極秘にする。しかし、原爆が完成した暁には、熟慮ののち、おそらく日本に対して使用される。その際、日本に対して、降伏するまでこのような爆弾による攻撃が繰り返される旨の事前の警告を与えるべきである。

② 原子力を軍事目的と商業目的のために開発することを目指す英米両国政府間の協力は、合意によって停止されない限り継続される。

③ ボーア教授の活動を調査し、同教授が情報を特にソ連にもらさないことを保障するための措置を講ずる。

このハイドパーク協定は、ドイツ降伏は時間の問題となり、しかも、ドイツは核開発の基礎研究の段階に留まっていることがわかりましたが、マンハッタン計画を中止するのではなく(アメリカが中止してしまわないように)、日本を対象にして計画を継続しようとチャーチルが先手を打ったと考えられています。

このハイドパーク協定ではじめて、ナチス・ドイツが原爆を開発するかもしれないから、それに対処するためにマンハッタン計画を進めるという目的(予防目的)そのものが変わったということになります(日本の当時の科学レベルで原爆開発は無理であることは英米には最初からわかっていましたから)。

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『人類はこうして核兵器を廃絶できる』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。