超現實主義の運動の初期に於いては「思想は思想の根源に依って自由になることが出來ると考えてゐた思想は物質を越えて絶對である」とされてゐたのであったが後期に至ってこの見解は間違ってゐたとプルドンは云ってゐる。

初期の宣言(一九二四年)に於いての定義は理想主義的な傾向であったが一九二五年に至り政治的社會的なものに關心が持たれる様になり超現實主義の行動は今迄の非合理性を改めて論理的態度をとることの必要が起きて來たのである。それと同時にコミュニズムへの關心が急激に認めらるる様になりマルキシズムが超現實主義の運動にこれ迄缺けてゐた處の或結合と目的とを與へたことは認めなければならない。

一九二四年より一九二九年の間にコミュニズムと事を構へたがコミュニズムはプルドン一派を信用しなかったのである。これに對して(階級闘爭の意識は社會主義的レアリズムだけではない。資本主義を憎むこれに於いて結合した公然たる革命的人間思想や表現の自由を妨げなくともいゝではないか)と超現實主義者は抗議したのである。プルドンは超現實主義の思想に矛盾のないことを次の如く云っている。

「實際我々は二つの問題に直面してゐる。その一つは二十世紀の初めに意識無意識の關係の發見に依って提出されたもので超現實主義はこの解決方法を自身にまで應用した。他の問題は社會活動でこの問題はその方法を辨證法的唯物論の中に持ってゐた」

……一方の問題は心理的フロイド的であり他方は社會的コミュニズム的だとの意。

「精神辨證法というものがあり生物學的社會學的に精神の運動を説明出來るといふ」

またプルドンは超現實主義とコムミュニズムとの聯關の理論的把握を試みこの上に新しい文化の基礎を置くことに努力して居り超現實主義は宣言に於いて常にコミュニズムに深い關心を示し資本主義制下に於いて文學繪畫に於ける最も革新的な仕事をしたのはダダイズム及び超現實主義である。

従來の藝術的批判の基準を全く覆してゐる。斯うしたことはプロレタリアの解放に役立たないことはない。今日のプロレタリアよりも明日のプロレタリアが資本主義を乗り超えて自身の進展を續けることが出來る時には二ツのものが一致するであらう。

プルドンの「超現實主義第二宣言」に依って唯物史觀が超現實主義の上に全的に採用せられ超現實主義者は唯物史觀及精神分析學卽ちマルクスやフロイドの暗示に依りシュールレアリストの確信を社會科學的根據の上に實行するのである。

斯くの如くシュールレアリズムは初期に於いて理想主義的であるが、幾度かの修正を経て後期に至って完全に理想主義的な觀念を克服しマルキシズム思想を採り入れ今後益活動發展を續けることを約束してゐるのである。