第二章 仮説社会で生きる欧米人

欧米人と日本人は本質の意味、捉え方に違いがある

日本人の使う仮設は、一時的となり、一方欧米人が使う仮説は包括的となり、別ものに仕立て上げています。この違いは本質の捉え方の違いから生じています。

普通に考えると、本質は一つであり、日本と欧米で本質の捉え方に違いがあるとは思いもよらぬことになります。

そこで、本質の意味を広辞苑で求めそれを要約してみますと「事物の背後にあって必然となる存在」とあります。他の辞書の多くは「根本原理」と記しています。

本書では本質を根本原理と定義づけ、本論の考えを進めてみたいと思います。

日本では「本質は現象の背後にあって、よく観察すれば見えるもの」と位置づけられています。この説は日本人の本質観を突いており、本質の意味をわかりやすく、端的に表現していると思います。

ところが、欧米人は「本質は見えないが、存在する」と捉えています。日本と欧米の本質の定義が違いますので、違いをはっきりさせてみると、「本質はよく観察すれば見える」とする日本人、「本質は見えないが、存在する」と考える欧米人に分かれます。

本質への捉え方の違いは、仮説、仮設での違いを生みますが、厄介なことに、捉え方の違いは、考え方や行動の違いへと連動しています。

一般に欧米人の思考法は、見えるものや、個別的な現象から思考を進めるのでなく、先ず普遍的・一般的前提を立て、そこから思考を巡らし法則のある結論を求める法と言われています。

普遍的・一般的前提は「本質に近い仮説」と言い換えることも可能です。

この思考法は、普遍的・一般的前提を設定し、特殊な条件下で推論を行って結論を求める法で、演繹法と言われるものです。

一方、私達日本人は、思考を巡らして、結論を求める場合、五官で特に視覚で対象を捉え、対象を整理、グルーピングして、ことの正否を判断する法を得意とします。

この思考法は帰納法と言われています。

本質の捉え方の違いは、仮説への捉え方の違いに、さらに思考法や行動の違い等諸々の違いへと広がっています。本質を端的に述べると現象の背後にある根本原理です。

その根本原理の定義、意味づけが違うということは、諸々の考え方の違いに連動することになり、考えてみれば当然の帰着となります。

※本記事は、2020年5月刊行の書籍『特性を活かして生きる』(幻冬舎ルネッサンス新社)より一部を抜粋し、再編集したものです。