試練は乗り越えられるために存在するのだと考えた。時には、自分は今、試されているのだと思うようにした。

つらく悩み苦しんだとき、永いトンネルの中に自分がいるときは、光が見えないことが多い。時が解決する。僕は、不器用で、世にいう天才のようにはいかない。だが、継続することは、諦めないことであり、これも才能だと知った。挫折してもコツコツと継続できる人は、最後は天才を超えるのではないか。

かのエジソンも、天才は九十九パーセントの努力と、一パーセントの閃き、と言っていたではないか。生きていくことは、つらいことの連続であったり、楽しいことの連続であったりする。禍福は(あざな)える縄の如し、という。

一瞬の喜びや、感動もある。スポーツによって与えられる感動、美しい景色に出会ったときの感動もある。人生は、だから面白いのかもしれない。風の女が現れるたびに、僕の心が、息を吹き返す。想念というか、想いは伝わるのか。あまりにも執着しすぎると、物事に引っ張られてしまい、思考を雁字搦(がんじがら)めにされてしまう。拘泥してはいけない。時には、執着を手放すことだ。心の塊から、解き放され、自由を手にすることができる。

一瞬の自由でも、心の苦しみから解放される。自分の欲求を求めれば求めるほど、心の苦しみは、エンドレスに続く永い旅だ。魂も永い旅をしてきたはずだ。長い遍歴を続ける魂も、旅路の中で休息させるべきだ。

── 小休止。

休むことは、魂の疲れを癒し、魂のエネルギーを回復させる。回復した魂は、過去の自分とは違う。小学二年生の僕は、未来への手紙に、なんと書いたか想い出せない。だけど、これからの未来への手紙は、また、書くことができる。風の女のことでも書くか、それとも……。

※本記事は、2021年9月刊行の書籍『未来への手紙と風の女』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。