目は口ほどにものを言う

電動ベッドの上半分をゆっくりと上げて患者を起こし、やや湿った病衣の上から聴診器を背中に当て、私は患者の目を見つめてもう一度言った。

「大丈夫、とても順調ですよ」

返す患者の目はしっかりとしていて、その中に安堵感が浮かんでいる。確かに目は口ほどにものを言う。目を見ていると何となく別の声が聞こえてくるような気がするので、外来でも短い診察時間にできるだけ多くのことを知り、伝えようとして患者の目を見つめるように努めている。

今、この58歳の男の目からは「手術が終わって安堵している。これですべてが終わったように感じている」と、そんな声が聞こえてくる。

この患者の肺癌は切除できたが、私は郭清したリンパ節に一部硬くて白色のものがあったことが気になっていた。もしそのリンパ節に癌の転移があれば、この患者の予後には暗雲が漂う。患者の家族にはそのことを伝えたが、手術が無事に終わったことでおそらく頭はいっぱいで、私の話した不安材料のことは右から左へ聞き流されたのではないかと思う。

あの白さが示す意味を理解しているのは執刀医、主治医のみで、患者も家族も手術の力を過大に評価、期待し、絶対の力を求め信じている。主治医でさえも、もしかしたらそうかもしれない。

手術室から帰って来た時、「おとうさん、無事に終わってよかったね。これでもう大丈夫だよ、よく頑張ったね」と娘が耳元でささやいていた。

その傍らで私は微笑んでいたが、心の中では「癌はそんなに甘い病気じゃない。あれが転移だったら1~2年の命かもしれない」とつぶやいていた。

※本記事は、2022年3月刊行の書籍『南風が吹く場所で』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。