はじめに

「雪は天から送られた手紙である」という言葉を残した中谷宇吉郎は、雪の科学者として知られるが、氷・霜・霧の研究等、天地に亘る広汎な低温物理の成果を残した。その弟に、考古学を研究していた治宇二郎じうじろうがいた事はあまり知られていない。

それは、治宇二郎が早世したこともあり、進歩の速い学界において時代の波に埋没していった事もあろう。今は彼を直接知る人はなく、長女である私も、留学する父と幼時に別れたため直接の記憶はない。治宇二郎の遺した資料をひもといてみると、兄宇吉郎とは学問上でも支え合い、学び合っていたことが知られる。

治宇二郎の学説は科学的方法論と言われる。これは、兄やその周りの人々との交流が影響していると思われる。又、多くの人との交流は、早世した一学徒としては恵まれたものであったことが知られる。治宇二郎の没後八〇年余を経て、親族においてさえ幻の存在である治宇二郎を、このまま忘れ去られるのも寂しく、せめて身内の者や、中には興味を持って下さる方もあり、そのために知る限りの事を書き残したいと思う。

治宇二郎の遺品の中で、遺物のスケッチカードと共に多くを占める手紙は、一九二七年から一九三六年三月に亡くなるまでの一〇年間に、兄宇吉郎から届いた約一二〇通の外、兄宛に出した一四〇通を含め、友人、知人、家族宛等、手に入ったものだけで五〇〇通程になる。これによって当時の状況を知ることが出来る。

又、私が多くの方から頂いたお手紙で教えられる事も多かった。本稿は、それらの手紙や治宇二郎の遺稿及び没後の出版に際して集めた考古学関係その他の雑誌や著書の記事、治宇二郎の著書、資料収集の過程で得たエピソードを資料として構成したものである。

(二〇一九年一二月一日発行『幻の父を追って』「はじめに」より)