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旅の人、モーツァルト

「モーツァルトの音楽には彼の心情、悲しみや苦しみは全く反映されていない。モーツァルトの音楽はそういった人間の心を超越した高みにある。」とはよく言われている。しかしながら、果たして本当にそうであろうか? 天才モーツァルトと言えども人の子である。人間なのである。就職活動の失敗、母の死、そして失恋を経験したこの時期に作曲された、「ピアノソナタ第8番K. 310/300d や「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第28番K. 304 といった傑作には、切々とした悲しみの感情が込められていると思われてならない。この悲しみこそがモーツァルトの音楽を唯一無二のものにしているのではなかろうか。

しかし、モーツァルトの音楽に見られるこの悲しみは、決して聴く人の気持ちを撹乱させるような悲しみではない。涙がポロリとひとしずく、ふたしずく流れた後に癒されるのである。悲しみが和らいでいるのである。これだけ悲しいのに、なぜこれほどまでに癒されるのであろうか? これはまさに旅の人モーツァルトが旅から得た経験を五線譜にしたためて、自らも慰めていたからではなかろうか。まさにモーツァルトの音楽は旅から得た所産なのではなかろうか。

ピアノソナタ3K. 281/189f

この曲は、1775年初頭ミュンヘンで完成された。この年に完成されたピアノソナタ第1番から第番までの中の一曲である。長い間完成時期は、第1番から5番までは1774年、第6番は1775年と考えられていたが、自筆譜の研究から、1775年初頭に一気に書かれたことがわかった。したがって、ケッヘル番号も若いK. 189f K. 281 との両方が存在しているのである。

モーツァルトの時代欧州では、楽譜出版は六曲(稀に三曲)でまとめられることが多かったので、この六曲は同じ動機によって作曲されたものと思われる。1775年ミュンヘンに滞在していたモーツァルトが、ハープシコードやクラヴィコードではなく新しいピアノ(当時はフォルテピアノと呼ばれていた)という楽器に出会い、その魅力にすっかりとりつかれ、ピアノソナタの作曲を志したのではないかと考えられる。18歳の青年モーツァルトの新しい挑戦であった。