気が付くと障子を通して、朝陽が射し込んでいる。簞笥の上に置かれた時計で時間を確かめると、八時を過ぎていた。大急ぎで服に着替え、隣の部屋に行った。これまでの、自堕落な暮らしが悔やまれる。

先生。先生。呼んでも返事がなく、そうっと戸を開けた。布団はきっちりと畳まれていて、机の上にメモがあった。

『起きたら降りておいで。いなかっても心配せんでええで。市場(いちば)に行ってるから。待ってたらええ』

階段を駆け下りた。小さな台所が付いた居間に、先生のお母さんと先生が向かい合わせに座っている。先生は、ここへおいで、というように隣の座布団をぽんぽんと叩いた。

「居候の割には遅いな。ちゃっちゃと朝ご飯の用意くらいせな」

「そんな急に言うても、無理やろ。おいおい教えたってや。これから神崎さんはここで暮らすて、そう二人で決めたんやから」

ちらっと顔を上げると、腕組みをして目を細めたお母ちゃんと目が合ってしまった。

「明日から、やないで。今日からやって貰わんと。事情も都合も聞かへん。ここに居るからには、ここの人間になって貰わんと。それで、あんた幾つやねん」

「二十一です」

「もう、はたちを過ぎてるんか。とてもそうは見えへんな。頼りなさそうやし、世間をなんも知らんみたいやな。これからしっかりと、叩き込まなあかんわ」

ということは、許可が出たと思っていいんやろか。でも私は一度も外で働いたことがない。許しは得たものの、自分の経験の無さが情けない。

母親に言われるがままに、綺麗な服を着て微笑みながら運ばれてきた飲み物を客人に手渡す。それを、誰が仕事だと認めてくれるだろう。

「朝は、うちらが市場に行ってる間に朝ご飯の用意をする。献立は教えるから、しっかり覚えてや。それと、うちは景子(けいこ)やから名前で呼んでくれたらええ。あんたに、お母ちゃんて呼ばれる筋合いはないからな」

「はい。あのう、先生も買い出しに行くんですか」

「当たり前や。野菜や魚や肉や、そんな重たい荷物、誰が持つんや」

ああ、そうですよね。頷いた顔の前に、湯飲みが差し出された。ほら、お茶。

朝ご飯を終えて先生が学校に行くと、洗濯物を干してそそくさと洗い物を済ませた。どっちも、初めての経験だ。

早う、おいで。景子さんが店から呼んでいる。

厨房は狭いながらも、きっちりと整理整頓されている。食器も調理器具も、手を伸ばせばすぐ届くように整然と置かれていた。

景子さんはてきぱきと、私に手順を教えていく。メモを取ったが、自分でも読めないくらい字が無茶苦茶になった。

それにしても先生は大変だ。塾の講師だけでもハードなのに、四時起きで仕入れにまで行っているとは。

「ほら、聞いてるんか。あんた、包丁も持ったことないんやろ。どんなお嬢様で育ったんか知らんけど、ここに居る限りはそうはいかへんで」

※本記事は、2021年11月刊行の書籍『渦の外』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。