人間の言葉が分かるが、素直に喜べない

ここまでお話してきたんだから、読者の皆さんには、俺が人間の言葉が分かるということ、お分かりだろう。聞くことと読むこととそれらの意味が理解できるんだ。だから自分の名前だって認識できるんだよ。俺にどうしてこんな能力が備わったのかは分からない。いつの間にかそうなっていた。俺にだけ遺伝子に突然変異が起きたんだろうか。不思議で仕方ない。

猫が人間の言葉が分かるというのは、類まれなる驚異的なことだ。他の猫から見れば羨ましい限りかもしれない。けれども、人間の言葉が分かるが故に、知らなかったほうがいいことまで知ってしまうこともある。出来事の真実を知っているのに、人間の言葉が話せないので、それを当事者に伝えられないもどかしさがある。俺が何と言おうとも人間にはただ「ニャン」「ニャン」としか聞こえないんだ。悔しくてたまらない。ストレスになる。この間の出来事もその一例だ。

榎本さん夫婦も他の夫婦同様よく夫婦喧嘩をする。「切った、張った」の怖い喧嘩ではない。大半はちょっとした誤解が元で起こる些細な口喧嘩である。だがそれが尾を引いて、不穏な状態が続くこともある。

 

ある秋の日の出来事である。榎本さん夫婦は、翌朝、早く起きて近くの沼までジョギングしようと話し合っていた。しかし、奥さんは早く起きられず、仕方なく榎本さん一人で出かけたのだ。奥さんは置いてきぼりにされたと憤慨し、帰宅した榎本さんに、「何故、私を起こしてくれなかったのよ」と怒りをぶつけた。榎本さんもそれを聞いて、「『夕べ寝るのが遅かったので起きられない。一人で行って』と言ったじゃないか」と言い返している。すると奥さんは「私はそんなことは言ってない」と言い張り、「言った、言わない」の口論が始まった。二人とも怒っていて険悪な雰囲気になり、翌日まで口をきかず、食事も別々。

 

俺はその朝、問題の現場にいて二人のやり取りを聞いている。榎本さんの言うことが正しい。奥さんは寝ぼけてて、自分が何と言ったか覚えていないのだ。俺は榎本さんが気の毒になり、本当のことを奥さんに伝えたいと思ったが、猫語ではそれは不可能だ。言葉で駄目なら、身振り手振りでもと考えたが、それも無理。どうしようもできなくて無念だ。わが身の無力さを感じる。こんなことは日常茶飯のことで、俺は言葉が分かることを素直に喜べないのだ。

 

俺が人間の言葉が分かることは、榎本さん夫婦も気づいてはいない。このことは絶対に秘密だよ。いいね。

今夜も、榎本さん夫婦は、猫を捕まえて猫汁にした人がいるという話をしていた。こんな話、俺は嫌だ。聞きたくないよ!

 
※本記事は、2021年11月刊行の書籍『おもしろうてやがて悲しき』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。