「韓族」についての補講を入れる。

「韓族とは古代朝鮮半島の南半にいた種族の総称。『三国志』「()()東夷伝(とういでん)」によると、三世紀ころ韓族は言語や習俗によって、馬韓・弁韓・辰韓に分かれていた。中国へ朝貢を行っていたが、四世紀になって楽浪(らくろう)(ぐん)が高句麗に滅ぼされるなど、中国の朝鮮半島に対する郡県支配は終わり、韓族による国家建設が活発化した」とある(旺文社世界事典より)。この解説が一番わかり易い。

朝鮮半島に在住した民族の解釈は韓民族と朝鮮民族は同一民族であったと解釈して良いとされていると思う。しかし筆者は明治維新政府による会議の議題として存在しない国名を出して「征韓論」と命名し、今日まで歴史上に訂正せず書きおくという学会の判断がわからない。

往時、半島にあった国家は李氏朝鮮王国であり韓国という国家は存在していないことは事実である。ならば「征朝論」であっても良いのではないか。日本国の史学界には「征朝論」では何か都合悪いのか。

日本史学上、「朝」とは天皇の執務場所を「本朝」と言っていた。「征朝論」では、耳障(みみざわ)りが良くないから、敢えて「征韓論」としたのではと無礼な邪推をするが、これは単なる憶測でしかないから、読者が留まるところではない、忘れて頂きたい。いずれにしても朝鮮半島の南東には三韓征伐の対応民族国家があったことは間違いない。

これは史実と言うよりも記紀の話に単に筆者が親しみを覚えたに過ぎない。筆者は(かね)てから古代史については苦手である。近年の学術上の見解は筆者の学生時代の知識から大きく離れており、縄文・弥生時代の区別ですらされていない。筆者の認識は適切でないから、ここらあたりの説明は声を小さくしておこう。

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『彷徨える日本史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。