30センチの手術痕

看護師さんたちが移動キャスターを部屋に運び込む。母は私を真正面から見つめ、無言で手を強く握る。

移動するキャスター。私は天井に「嵐」のメンバーの顔を映し出す。二宮君、相葉君、松本君、大野君、櫻井君、みんな笑顔である。やがて天井一面が照明灯に変わる。

「では、麻酔の注射を打ちます」

麻酔科医の声が聞こえる。おごそかな口調である。儀式が始まるように……。

麻酔から覚めると、下半身が棒のようである。上半身と下半身が分離されているようだ。上半身は手も口も動くのに下半身は死んだように動かそうとしてもビクともしない。感覚が麻痺しているのである。

車イスに乗せられて、病室に戻る。下半身の感覚がまったくないので、尿意を感じることもできない。母が下半身の方で蠢いているのを見て、それとわかるのである。感覚が戻ってくると、手術の痕がチクチクと痛み、眠れない日が続いた。

一週間ほどして、痛みが取れ、腰に巻かれていた包帯も取れた。

「お母さん、手術の痕、どうなっている」

「……」

母は手鏡をかざした。手術前に主治医が説明した通り、腰に30センチの縫い傷が映った。無念である。

 

手術後、一過性の肘痛と(せん)(そく)に襲われる。尖足というのは、足の変形の一種で、足の甲側が伸び、足先が下に垂れたまま戻らない現象である。立ち上がろうとすると、激しい腰痛に襲われ、足を動かすことができない。

担当医の所見

「残念ながら、予想通りの結果が出ていません。リハビリ専門の病院をご紹介しますので、そちらでリハビリを行ってください」

2009年9月、千葉市にあるリハビリ病院に転院した。

リハビリ病院は都心の大学病院と違い、豊かな自然に包まれていた。リハビリテーション病棟に入院する。

時々、母が見舞いに来てくれた。母に車イスを押してもらいながら、四季の花々を眺めた。

2週間経った頃だった。右足の関節が内側に反り出す、股関節の回転範囲も狭くなり、足が内側に曲がり出す。3ヵ月後には下半身がまったく動かなくなってしまう。

アメリカの大学に戻り、授業を終了し、卒業式に出るという予定は絶望となった。

「娘がなにをしたというのですか。できれば変わってあげたい……。神様助けてください」

母は日記にこう書き記した。

 
※本記事は、2022年1月刊行の書籍『奇跡の一歩 全身ジストニアに翻弄された“私の青春”』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。