次に御誓文に続く勅語と奉答書をについて触れてみる。特に我々素人が、ここまで触れ知ることはない。大きく言えば、

①大日本帝国憲法で天皇が天地天明(天地神明)に誓い、

②勅語で天皇が再び群臣に向けて心境を語り下し、

③更に群臣が奉答書にて死を誓う、

この国民的催事の流れを一読しておくと、明治政府が幕末から明治にかけて日本国の国体が前例になく、大胆に且つ、注意深い立て付け(仕組み)をもって変身し、世界の先進国に歩み寄らんとしたかの理解の一助になろう。

筆者も読者も、明治維新の志士の姿に手応えを感じながら、捉えねば明治維新はぐちゃぐちゃにして、日本史学の真ん中で彷徨ようことになるだろう。

*勅語(明治天皇が口頭により発する群臣に向ける公務上の意思表示)

〔現代語表記〕我が国未曽有の変革を為さんとし、(ちん)(みずから)を以て(しゅう)に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。臣民もこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。

*奉答書(群臣が天皇の意志に従うことを表明した文書)

〔現代語表記〕天皇のご意志は遠大であり、誠に感銘に堪えません。今日の急務と永世の基礎は、これに他なりません。我ら臣下は謹んで天皇のご意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を御安心させ申し上げます。

上記の文意、これが大日本帝国の発足にあたる国家憲章の様態を示した近代国体(国柄・国のあり方)を堅持せんとする大日本帝国の一文で最も大切なところである。

この憲法をもとにして、それまでの徳川幕藩体制から脱却し、文明開化と富国強兵の国策の御旗を掲げ、世界の先進国の仲間入りを目指した。海外の先進国と肩を並べるには程遠いとはいえ“広く会議を起こし万機公論に決すべし”とはたとえ絵に描いた餅の様なことであっても、それまでの日本の歴史の歩んできた足跡を振り返れば、到底、想像の出来ることではない。

今でこそ我々は二一世紀のこの時代に存在している。日本人が人類の隆盛に如何ほど貢献をしてきたといえようか。筆者が、今日、令和時代に日々(つつが)なく過ごしながら、満足もせず、あれやこれやと不満を口にして家族で食卓を囲んでいられるのも、世界の民族の知恵と努力と幸運があったからであろう。

※本記事は、2022年2月刊行の書籍『彷徨える日本史』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。