大学の落ちこぼれでかつ「裏口もどき」のNHK入局

ICUは「入学は比較的容易だが卒業は非常に難しい」と言われていた。過去4回の卒業実績でも卒業できなかった学生の割合は他大学よりずっと多かった。

と言っても、私の場合はアメリカの宣教師が始めた「Friends」という勤労奉仕、今で言えばボランティア活動にのめり込んだのが「落ちこぼれ」に陥る原因であった。卒研が始まった頃にも狩野川台風で橋が流され孤立した伊豆の農村で仮橋作りに夢中になっていた。この時はICUの学生や教員から成るボランティア・グループを作り、アメリカの留学生Miss Glendaとリーダーを組んで活動していた。

そんな時に卒論の実験が思い通りに進まない事態に直面し、なかなか論文を書く段階に至らなかった。卒論のテーマは「Some Aspects of Liquid Scintillators」で、原子のガンマー放射線が、ある液体を透過するときのエネルギー量を算出する数式を確認するための実験であった。

この数式はイスラエルの科学者が考え出した原子物理論の最前線のものを私は別の化学物質を使って確認しようと試みたのである。実験設備は自分で考案し、近所の鉄鋼場で作ってもらい、放射線源はストロンチウム90を大学に購入して貰い使用した。

実験室で仮眠する日が続く中で就職先のことなど考える余裕もない。そんな時、突然電話で呼び出されて「NHKに行って面接試験を受けろ」と言われた。テレビのディレクターの仕事だと言う。その時の電話の主が就職部からなのか、物理科の助手だったのかは覚えていない。大学の寮にはテレビは無いし、ディレクターなど無縁の大学生活だ。

その当時、NHKと言えば就職人気がベスト5に入っていた超難関であった。面接は3~4名の年配の方々が短い質問をし、私は卒論についての質問に丁寧に答えたが、面接官の方々が充分理解されたかどうかは分からない。しかし、最先端のテーマに挑戦しているのは感じたのか、聞き返すことは無かった。

私がそこで確認できたのは難解な筆記試験は行わないとの事なのでホットしたのは覚えている。あとは新任のワース教授に提出する英語での論文の執筆に専念したせいでNHKの面接試験の合否を何時、どんな方法で知ったかは全く記憶にない。

これは入局してから知ったのだが、NHKは始めたばかりの教育テレビに必要な理科系の学生が足りないので東大、都立大、筑波大などを指定して数名を「専門要員」として面接だけで採用したのだそうだ。

彼らの中には「キャリア組」と自任している者もいたが、物理グループの6名のうち、自分一人だけが大学院に行かず就職、つまり「落ちこぼれ」という劣等感を持っていた私にとって、筆記試験を受ければ100%落第間違い無しという事実がある以上、「裏口入学もどき」の意識が消えることはなかった。