帰郷

調子を崩した息子が心配で、私は何度も上京(後に神奈川へ転居)していたのですが、とうとうなす術もなくなってしまいました。私に代わって夫が二男のアパートに泊まりで生活してくれました。そんな夫から「すぐに来い。家族診察ができるようになったから」の連絡が入り、私はいつでも行ける用意がしてあったカバンに、何を思ったかスケッチブックを掴んで、JR「快速みえ」に飛び乗りました。

それが偶然につながるとはつゆ思わずに……。

スケッチブックには、夫から送られた一カ月余りの日々のメールと、私の一人暮らしの絵日記がありました。遠く離れた二人を近くに感じたくて、そして私も二人の窮状に力を合わせたくて書き始めたのです。一人ぼっちで彼らを案じる不安を紛らわしたかったのかもしれません。

夫婦でドクターの話を聞いてからアパートまでの帰路は、私の記憶にありません。すでに夫を部屋から閉め出し内からカギをかけてしまったアパートのドアを、夫に代わりノックしました。

すると二男は私を入れてくれたのです。閉め出された夫は車中泊をしながら二男を見守ってくれていました。私もドアから出ると、次はもう入れてもらえないと思いましたから、食材を夫に頼み届けてもらって食事を作りました。

夫がメールで知らせてくれたように、私も黙って側で過ごしました。時々のマッサージは嫌がりませんでした。そのようにして過ごした二日目の夕食後だったでしょうか。スケッチブックを見ていた私に、「何?」と二男が声をかけてきました。

「麻加江で一人になったときから描き始めたんよ」と答えると、二男も絵を見始めました。私に代わってページを繰っていった二男の手が、おばあさんと少年の乗る緑色の車がツリーを積んで疾走する絵(図書館で借りた童話の挿絵)に来たところで止まりました。

 

残っている最後の力を振り絞るように立ち上がり、絵から触発された曲を作ろうとキーボードを手にしました。しかし一音も生まれてきませんでした。息子は私に、「もうできない……。帰ろうかな」と言いました。

二男は、辛いけれど限界を知ったのかもしれません。もういいんだとホッとしたのかもしれません。私は、本当に嬉しかったです。久々にホテルに入った夫にすぐ連絡をしました。部屋に入り歯磨きの袋を破いたところだった夫は、お金を払いすぐに戻ってくれました。

荷物は何も積まず二人の体と私のカバンだけ乗せたら、車は急いで発車しました。まるで呼び戻すものから逃げるように。その夜、日をまたいで私たち親子は息子の故郷へと戻っていきました。

 
 
 
※本記事は、2021年12月刊行の書籍『なかむら夕陽日報【文庫改訂版】』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。